「とあひら(程合ひら)」。語尾の「ら」は情況を表現し、そうした情況にあるもの・ことを表現する。「と(程)」は程度であり(「と(程)」にかんしてはその項)、「とあひら(程合ひら)→たひら」は、あらゆる点で程度が合ひ凹凸がないこと・もの。「たひらぎ」(自動)、「たひらげ」(他動)という動詞もある。「たひらげ」はあらゆる点で程度が合ひ凹凸がない状態にすることですが、特別に突出している対象をなくし他と同じくする、という意味で、その突出が進行の障害を意味し、障害となる邪魔をなくす、という意味にもなる。これは敵の存在を消失させるという意味にもなるわけですが、ものを食うことを戦いのように表現し、食べ物をすべて食うことを「たひらげ」と表現したりもする。その意味は「たひら」と事実上同じと言っていい語に「たひらか」がありますが、これは「たひららか」の「ら」が一音化したもの。「~らか」は「なめらか」その他の語尾にあるそれ。
「既(すで)にして皇孫(すめみま)の遊行(いでま)す狀(かたち)は、槵日(くしひ)の二上(ふたかみ)の天浮橋(あまのうきはし)より立於浮渚在平處 立於浮渚在平處此云,羽企爾磨梨陀毗邏而陀陀志(うきじまりたひらにたたし)。」(『日本書紀』:この最後の部分、『古事記』では「宇岐士摩理蘇理多多斯弖(うきじまりそりたたして)」になる。『日本書紀』の伝承では「そり」の意味がわからなくなっており、平穏に立った、と表現したということか)。
「平坦 タヒラ」(『類聚名義抄』)。
「朝(あさ)庭(には)に 出で立ち平(なら)し 暮(ゆふ)庭(には)に 踏み平げず(敷美多比良氣受)」(万3957)。
「弥生(やよひ)の十余(よ)日のほどに、たひらかに(子が)生まれたまひぬ」(『源氏物語』:なんの障碍もない平穏無事な出産だったということ)。