◎「たはぶれ(戯れ)」(動詞)

「たはふれ(呆振れ)」の濁音化。「たは(呆)」はその項(12月13日)。「ふれ(振れ)」は「ふり(振り)」の自動表現。意味は、感覚的に感知される存在の現れになること→「ふり(生り・振り・遊離り)」の項。「たはふれ(呆振れ)→たはぶれ」は、「たは(呆)」が現れる、ということですが、呆(あき)れるような動態、その動態の意味がわからない動態、が現れてたり、何の意味もない動態が現れたりする。なにに呆れるかは個性もあり、さまざまです。その「たはぶれ」は、面白おかしかったり、楽しかったりすることもあれば、不快なこともある。

「…白玉の 我が子古日は 明星(あかほし)の 明(あ)くる朝(あした)は しきたへの 床(とこ)の辺(べ)去らず 立てれども 居(を)れども ともに戯(たはぶ)れ…」(万904)。

「かくのみ呼びつるは、何ごとゝいふこともなくて、戯れつゝぞ歸しける」(『蜻蛉日記』)。

「戯 …タハブル(レ)」「婬 …タハル……タハフル……タハシ」(『類聚名義抄』)。

 

◎「たはむれ(戯れ)」

「たはムレン(呆無廉)」。「たは(呆)」はその項。「廉(レン)」は、折り目正しい、正直、人間性が清い、といった意味。「無廉(ムレン)」はそれがない。「たはムレン(呆無廉)→たはむれ」は、呆(あき)れ、清らかさや礼儀正しさなどない動態、ということ。それがすべて悪質であったり不愉快であったりするわけではない。たとえば蝶が花にたわむれたりすることは折り目正しさや礼儀正しさなど問題外なのです。この語は名詞が生まれ、それが動詞化したものでしょう。

「此比(このごろ)右のごとく、足へ何といふ字をかいてやるヨなどといふこと流行(はやる)とぞ。かかるたはむれがあどけなくておもしろかるべし」(「人情本」『春色恵の花』)。

「はる雨に、しつほりぬるる鶯の、羽風にかほる梅が香の花にたはむれしほらしや」(『改正哇袖鏡(はうたそでかがみ)』)。