「にてはに」。四音すべて一音づつ助詞。助詞の「~で」は「~にて」であり、「にては」は「では」です。「(試してみる何かを持って来て)これではどうですか?」の「では」。つまり、「~だに」は「~では、に」(「に」は動態を形容する「に」)。「~で」と、「~」でものやことが言われつつ「は」で提示され、「に」でその提示された情況で動態があることが表現される。その場合、提示されるのはありそうなものやこと、や、ありそうもないものやこと、であり、それが提示された動態が言われ、事態の特異性などが表現される。たとえば、「米だに食ふ」(米にては?と提示された状態で食う)は、米は食いそうもないのに食う。「米だに食はず」(米にては?と提示された状態で食わない)は、米は食いそうなのに食わない。いずれにしても、「~だに」で起こっていることはものやことの特別な提示です。特別に提示されることにより、そこに特別な情況があったり、特別なことが起こっていたりしていることが表現される。ありそうなものやことを提示し否定したり(→「木の花は ………梨の花、よにすさまじきものにして、ちかうももてなさず、はかなき文(ふみ)つけなどだにせず」(『枕草子』))、なさそうなものやことを提示して肯定する(→「思ふだにおそろし」)。そうした表現もある。
「三輪山をしかも隠すか雲だにも(谷裳)情(こころ)あらなも隠さふべしや」(万18:雲という情などなさそうなものを提示し、有ってくれ、という祈りのような表現になっている)。
「…橋だにも(太尓母) 渡してあらば その上ゆも い行き渡らし…」(万4125:そのくらいは有りそうな橋を提示し、それがないことの無念さが表現される)。
「朝ゐでに来鳴く果鳥(かほどり(※下記))汝(なれ)だにも(谷文)君に恋ふれや時終へず鳴く」(万1823:単なる鳥であり、人を恋ふ情(こころ)などありそうもない果鳥(かほどり)が提示される)。
「岩(いは)の上(へ)に 小猿(こさる)米(こめ)焼(や)く 米(こめ)だにも 食(た)げて通(とほ)らせ 山羊(かましし)の老翁(をぢ)」(『日本書紀』:これは童謡(わざうた。同書・皇極2年11月に当時のこの歌の意味解説がある))。
「忘れ貝 拾(ひろ)ひしもせじ 白珠(しらたま)を 恋ふるをだにも 形見(かたみ)と思はむ」(『土佐日記』:「拾(ひろ)ひし」の「し」にかんしては「し」の項(下記))。
「『…行く先長く見えむと思はば、つらきことありとも、念じてなのめに思ひなりて(ものごとを真正面から受け止め深刻になったりせず)、かかる心(嫉妬心)だに失せなば、いとあはれとなむ(情愛が深まって)思ふべき。…』」(『源氏物語』)。
※ ネットであれ、紙の出版であれ、「果鳥」は一般に「杲(カウ)鳥」とされますが、原文(西本願寺本)には「果鳥」とある。一般に「かほどり」と読まれ、そう読むのでしょうけれど、「かほどり」とは一般的に、良い鳥、を意味するのか、それともなにか特定の鳥であり、だとするとそれは何なのかにかんしては良くわかっていない。これは「カッホー(かっほ:顔)」と鳴く鳥ということで、郭公(カッコウ)か。「果鳥」という表記の「果鳥」は「果(クヮ)」が鳴声の頭音を表現したもの。
◎「し」
「しゐ(為居)」。「~しゐ(~為居)→~し」という表現が、~という動態をしている状態にあり、という表現になり、その動態にあることが特定表現されることにより強調される。
この語は、「大和しうるはし」にあるような、助詞(副助詞)の「し」ではない→「し(助・副助詞)」の項・2022年8月27日。
「ゆくへなくありわたるとも霍公鳥(ほととぎす)鳴きし(奈枳之)渡らばかくや偲(しの)はむ(こんなにも偲(しの)ふだろうか(なぐさめられるだろう))」(万4090)。
「寒くしあれば」(万892:非常に寒いので)。
「忘れ貝 拾(ひろ)ひしもせじ 白珠(しらたま)を こふるをだにも (死んだ子の)かたみに思はむ」(『土佐日記』)。
「大しや(大蛇)のおつかけし時かたなをふると見えしは、ふせかむ(防がむ)ためになくし、玉をかくさむ其ためにわかみを(我が身を)かいしける(害しける)とかよ」(「幸若」『大織冠』)。
「わだ(和田)右衛門は夢にもしらず。………『おさんが寝てゐるさふな。目をあけばわるい』と死したるをしらずし。女房を引立(ひったて)皆打つれ…」(「歌舞伎」『傾城浅間嶽(―あさまがたけ)』)。