◎「たなごころ(掌)」
この語は、それを示す資料はないのですが、「てはながこころ(手は汝が心(手はあなたの心))→たなごころ」という慣用的表現が古くからあったのではなかろうか。たとえば、男と女がいる。女がふとそう言ったとする。それは、私を思っているなら抱いて(いやならはね除(の)けて)、という意味になる。それが仏教の合掌において言われ、つまり、手はあなたの心なのだ、手はあなたの心をあらわすのだ、と言われ、心をこめて手を合わせることを意味し、たなごころを合わせ(「を」は状態を意味する)と言われ、「を」が目的を意味し、その状態の、合わされる手のひらを意味するようになった…そういうことなのではなかろうか。「手(た)な心(こころ):手の状態たる心」という表現が初めから手のひらを意味することは不自然なのです。手のこの部分は「たなそこ(手な底):手の、手のひらを椀状にした場合の底になる部分」、「たなうら(手な裏(内)):手の、手のひらを椀状にした場合の内側」、「てのひら(手の平)」とも言う。「たなうら」などという語は古く、それの影響で「たなごころ」が言われた可能性もある。「うら(裏)」という語は、内に秘められた思いという意味での、心(こころ)も意味する。「或(あるい)は斧(をの)を火の色(いろ)に焼(や)きて掌(たなうら)に置(お)く」(『日本書紀』)。
「其(そ)の瓊(たま)の端(はし)を囓(か)みて、左(ひだり)の掌(たなごころ)に置(お)きて生(な)す兒(みこ)を…」(『日本書紀』)。
「五百箇(いほつ)の御統(みすまる)の瓊(たま)を含(ふふ)みて左(ひだり)の手(て)の掌中(たなうら)に著(お)きて、便(すなは)ち男(ますらを)を化生(な)す」(『日本書紀』:『日本書紀』のこの部分では「たなうら」と言われている)。
「掌 ……和名太奈古古呂一云太奈曾古 手心也」(『和名類聚鈔』)。
「掌 …タナココロ タナウラ ツカサトル タナソコ …」(『類聚名義抄』)。
◎「たなつもの(稲・穀)」
「たな」は「たねのには(種の庭)」(→「た(田)」の項・9月7日)。「つ」は所属を表現する助詞。これは稲(意味発展的に穀物)を言う。種籾に関し特別な栽培をしたということです。
「乃(すなは)ち粟(あは)稗(ひえ)麥(むぎ)豆(まめ)を以ては陸田種子(はたけつもの)とす。稻(いね)を以ては水田種子(たなつもの)とす」(『日本書紀』)。
「是歳(ことし)、五穀(いつつのたなつもの)登(みな)れり(実なれり)」(『日本書紀』)。