「たちとへ(立ちと経)」。T音は退行化しつつ、ちとへ、は、てぃおへ→つおへ、のような音になる。「たち(立ち)」は発生を表現する。この場合は思念的発生、印象の発生です。「と」はなにかが思念的に確認される助詞。「へ(経)」はなにごとかが経過する。「たちとへ(立ちと経)→たとへ」、たとえば、「Aにたとへ」、は、「Aに」、Aという動態状態で、思念的発生がありそれが確認され経過している。「世間(よのなか)を何にたとへむかつ開(あ)けむ(世間乎 何物尓将譬且開) 漕ぎ去にし船の跡なきごとし」(万351:世間(よのなか)を何に立(た)ちと経(へ)む、世の中をなにの状態で印象の発生と経(へ)よう。世の中を印象の発生として経過するなにごとかがない。「何にたとへむかつ開(あ)けむ」は、何にたとえるのだろうそして(世の中が)明けるのだろう(世の中を理解し得るのだろう)、ということ。この歌のこの部分、一般には、「且」を「旦(タン):意味は夜明け」の誤字として、「世間(よのなか)を 何にたとへむあさびらき(朝開き)」と読まれている:夜明けになって船が漕ぎだしていくらしい)。
「その山はここにたとへば比叡の山を二十(はたち)ばかり重ねあげたらむほどして…」(『伊勢物語』)。
「紫の上は…………花といはば桜に喩へても、なほものよりすぐれたるけはひ、ことにものしたまふ」(『源氏物語』)。
この「たとへ(譬へ)」という語に関しては、『万葉集』歌番1137が問題になる。この歌の原文に「譬」の字があり、これが「たとへ」と読まれている。原文は「氏人之譬乃足白吾在者今齒王良増木積不来友」。この歌は難訓と言われているものなのですが、もっとも一般的には、四句の「王」は「与」の誤字であるとして、「宇治人(うぢひと)の譬(たと)への網代(あじろ)吾(われ)ならば今(いま)は寄(よ)らまし木屑(こづみ)来(こ)ずとも」と読まれる。しかし、意味不明です。この歌は、冒頭の「氏人」を「宇治人(うぢひと)」と読み、京都の山背(やましろ)で作られた旅の歌に分類されていますが、そうではないでしょう。ではどう読むか。
「氏(し)人(に)之(し)譬(ひ)乃(の) 足白(たりゆき)吾(わ)在者(あれば) 今齒王(いまはきみ) 良増(よきふえ)木積(凝(こ)詰(つ)む) 不来友(ともはこずとも(友などなくとも):「友」は二度読む)」。「死にし日の 足り行(ゆ)き吾(わ)あれば 今は王(きみ) 良き増え凝(こ)詰(つ)む) 友は来ずとも」。まるで、もうすでに死んでいる人が歌っているような表現。死んだ日に十分満ち足りていたから今は世の王だ。良いことだけがあり充実していく。たとえともはなくただ一人であっても。
冒頭の「氏」を「し」と読む例は『万葉集』に他に例はないと思われますが、不可能ではないでしょう。「白」は、いうまでもなく、その色、なにものにも染まらないその色、から、雪(ゆき)を現ししそう読み、「行(ゆ)き」を意味する。この歌は、謎めいた書き方がなされていることも作者の個性でしょう。わかる人だけがわかればそれでいいのだ、ということ。