「たちおひいひ(立ち生ひ言ひ)」。「たち(立ち)」は発生を表現する。「おひ(生ひ)」は発生したそれの育ちであり、広がりであり、膨脹です。「たちおひいひ(立ち生ひ言ひ)→たとひ」は、自分に(脳に)立ち生ひ広がったことを言うこと、その言ったこと。ただ記憶再起が述(の)べられる場合もあり、ただ空想や仮想が述(の)べられることもあり、記憶(現実体験記憶)再起の場合と空想・仮想(思いついたこと)の場合がある。
・記憶再起の場合、「たとひ(譬ひ)」は例・事例になる。
「南殿の鬼の、なにがしの大臣(おとど)をおびやかしけるたとひをおぼし出(い)でて、心強く…」(『源氏物語』:藤原忠平(貞信公)が紫宸殿で鬼と出会ったが、一喝して退散させたという例を思い出して、源氏はしいて心を強くもち…)。
「かく、世のたとひに言ひ集めたる昔語りどもにも…」(『源氏物語』)。
・空想や仮想がただ述(の)べられる場合
「仮使(たとひ)日月は地に墜り堕ち、或いは大地は有る時に移転することもありぬべし」(『金光明最勝王経註釈断簡(飯室切)』平安初期点)。
・空想の場合は仮定や仮想ですが、
「たとひ…(文)…ば」と(文)で意思的に仮想が提示され、そこで言われることにおける(文)で言われることの重要性が表現され(この場合は、もし~なら、のような意になる)、
「假使(たとひ)汝(いまし)此(こ)の國(くに)を治(し)らば、必(かならず)殘(そこな)ひ傷(やぶ)る所(ところ)多(おほ)けむ」(『日本書紀』)。
「若使(たとひ)衆生是の如き第一義を得ずは 諸佛は終に世諦を宣べ説かじ」(『大般(だいはつ)涅槃経』巻十七)。
「たとひ…(文)…とも」、「たとひ…(文)…ども」、「たとひ…(文)…にせよ(しろ)」などと(文)で思念的に否定的仮想が言われそこで言われる動態や事象の強さ、その否定され難さ、が表現される(この場合は、もし、仮に、~であっても、のような意になる)。
「設使(たとひ)経に遇ふとも、義を解れる人に値はずは、亦了了に分明に解ること得ず」(『法華義疏』)。
「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばかりはなどか生きざらん」(『徒然草』)。
「属吏ならば仮令(たと)ひ課長の言付を條理と思つたにしろ思はぬにしろハイハイ言つて…」(『浮雲』(二葉亭四迷))。