◎「たづさひ(携ひ)」(動詞)

「てあてゐしあひ(手当て居為合ひ)」。「てゐ」のE音I音の連音がU音になりW音の影響により濁音化している。最後の「~あひ」は「(ものを)取り合ひ」その他のように、相互になにごとかをすること。「てあてゐしあひ(手当て居為合ひ)→たづさひ」、相互に相手に手をあて相互に動態が連携し合う動態にあること。相手が人であることが原意でしょうけれど、ものごとにかんしても言われ、その場合は、そのものごとと関係しあう状態にあることを意味する。「Aとたづさひ」や「Aにたづさひ」といった言いかたをする。他動表現「たづさへ」、その自動表現「たづさはり」。

「人もなき国もあらぬか我妹子(わぎもこ)とたづさはり行きて副(たぐ)ひて居らむ」(万728:人目(ひとめ)や人言(ひとごと)がわずらわしいという歌)。

「ただ此の道にたづさひて、あら玉の年つもれるといふばかりに」(『民部卿家歌合』)。

 

◎「たづさへ(携へ)」(動詞)

「たづさひ(携ひ)」の他動表現。何かを相互に関係しつつ同動する関係にすること。

「川上梟帥(かはかみのたける)、其(そ)の童女(をとめ)の容姿(かほよき)に感(め)でて、則(すなは)ち手(て)を携(たづさ)へて席(しきゐ)を同(とも)にして、坏(さかづき)を舉(あ)げて令飲(さけの)ましめつつ、戲(たはぶ)れ弄(まさぐ)る」(『日本書紀』:『類聚名義抄』の「席」の読みに、シキヰ、と、ムシロ、がありますが、この、シキヰ、は他の者が入れない独占領域という意味でしょう)。

「究竟の若者、反脇差を横たへ、樫の杖を携へて、われわれが先に立ちて行く」(『奥の細道』)。

「和歌の道に心を寄せ、人丸(ひとまる、赤人(あかひと)の跡を尋(たづ)ね、業平(なりひら)、源氏の物語に情けを携(たづさ)へ」(『曽我物語』)。

 

◎「たづさはり(携はり)」(動詞)

「たづさへ(携へ)」の情況にあることを表現しますが、他動表現にも自動表現にもなる。何かと(を)相互に関係しつつ同動する関係になること(すること)。そのなにかは、(人を含め)ものも言いますが、ものごとにかんし言われることが多くなる。

「…夕星(ゆふづつ)の 夕(ゆふべ)になれば いざ寝よと 手をたづさはり(多豆佐波里)…」(万904)。

「…思ふどち 馬うち群れて たづさはり(多豆佐波里) 出で立ち見れば…」(万3993)。

「この事にたつさはれる人をは(ば)…」(『散木奇歌集』) 。「弓矢に携らん者なにしかは我が身を思はん事は候はん」(『宇治拾遺物語』)。