◎「たて(立て)」(動詞)

「たち(立ち)」の他動表現。「たち(立ち)」の動態にすること。つまり、発生感を生じさせること。応用は広い。「膝(ひざ)をたて」、「家をたて」、「湯気をたて」、「身をたて名をあげ」、「音(おと)をたて」、「噂(うはさ)をたて」、「誓ひをたて」、「腹をたて」(立腹し)、「茶をたて」、「役立て」、「計画をたて」、「顔をたて」、「生計をたて」、「筋道をたて」……。使者を送ることを「使(つかひ)たて」という言いかたもした。「春日明神となづけたてまつり、いまに藤氏の御氏神にて、おほやけ男女つかひたてさせ給ひ」(『大鏡』)。動態の発生感が表現されその動態が激しい影響をもってなされることも表現する。「呼びたて」、「責めたて」、「追ひたて」……。「たち」の発生感は動態の新鮮さも表現する。「出来たて」、「搾りたて」。

「…かまどには 火気(ほけ)吹き立てず(多弖受) 甑(こしき)には 蜘蛛の巣かきて…」(万892)。

「橘の下照る庭に殿(との)建てて(多弖天)酒みづきいます我が大君かも」(万4059)。

「にほ鳥の葛飾(かづしか)早稲(わせ)をにへすともその愛(かな)しきを外に立てめ(多弖米)やも」(万3386:鳰鳥(にほどり)は潜(かづ)くので、「葛飾(かづしか)」の枕詞。東国における、新穀を神に供える「にへ(贄)」の風習では供えものを神が受け入れる際、家内のものは家を出ているという風習があり、その際の情況を言ったもの。贄(にへ)であっても、あの人を外に立たせてなんておけるか、ということか)。

「父母(ちちはは)を 見れば尊(たふと)く 妻子(めこ)見れば 愛(かな)しく愛憐(めぐ)し………世の人の 立つる(多都流)こと立て(ことだて:許等大弖)…」(万4106:世の人が発生させていることの発生。それが世の人のことだと言っている)。

 

◎「だて(伊達)」

「であて(出当て)」。「あて(当て)」は、当(あ)てる (何かに対し対象の完成感を生じさせる→「人に玉をあて→人に玉の思念的完成感を生じさせる」) ことは起こるのですが、ここでは、当てにする、期待する、ということです。その意味での「であて(出当て)」とは、自分が(印象として)外に(世の中に)出たその「で(出)」に期待すること。つまり、その「出(で):世の中に現れた自分の印象」のために何かをすること、していること、したそれ、それが「であて(出当て)→だて」。「異風好きのだてな心」、「だての薄着」(厚着で膨れているのは不様(ブザマ)なので)、「だてに年はとっていない」(内容がある)、「だてや酔狂で」(外聞や軽々しいもの好きで)。髪型や服装も、表情や言動も「だて」に生活している男は「だてをとこ(伊達男)」。「伊達」という表記に関しては、江戸時代、伊達家の家来が云々と言われるます(家名たる「だて(伊達)」はもと地名)、「伊(イ)」で強調された「達(タツ:達し、表し、表現)」というこの表現は「だて」を漢語で表現しようとした努力の現れとしてもけして不自然で見当外れなものではない。「賢(かしこ)だて」「男(をとこ)だて」「隠しだて」「庇(かば)ひだて」などという場合の「だて」は動詞「立(た)て」(発生感を生じさせること)の濁音化です。

「……ウロンナル人ノ用ニ立、ダテヲシ、サギヲカラストアラカヒ…」(『多胡辰敬家訓』天文13(1545)年頃成立:見栄をはり現実性のないことを言い張るようなことをし、ということか)。

「おさいはさすが茶人の妻。物好(ものずき)も善く(ものごとの趣味がよく)気もだてに…」「唄 鑓(やり)の権三は伊達者(だてしゃ)でござる。油壺から出すよな男。しんとんとろりと見とれる男」(「浄瑠璃」『鑓の権三重帷子』)。

「これさ大悪人の堕獄人。此の袈裟衣は伊達に着るか化粧に着るか」(「浄瑠璃」『曽我五人兄弟』)。