「たづね(鶴音)」の動詞化。「たづね(鶴音)」は鶴の鳴声。その動詞化「たづね」は、基本は、鶴(たづ:つる)が空(そら)を仰いで鳴声(メイセイ)を発している動態になる、ということなのですが、それが、なにかを求め、願い、欲しているような印象となり、「たづね」はそのような動態をひろく表現する。そのなにかがものであればそれを探し、求め、所在不明の人であればそれも探しそれに関する情報も得ようとし(尋ね)、所在が明瞭な人であっても、それを求め、ただ「会いたい」と思い、その所在地に、つまりその人の家に、行くことも「たずね(訪ね)」になり、ものごとであっても、その知的所在、その真(シン)なる正体や意味を知ろうとすることも「たずね」になる(「真理をたずね」)。

「君が行き日(け)長くなりぬ山たづね(多都禰)迎へか行かむ待ちにか待たむ」(万85)。

「このみあとを たずね(多豆祢)もとめて よきひとの いますくにには われもまゐてむ(この御跡をたずね求めてよき人のいます国には吾も參てむ)」(『仏足石歌』)。

「『いかでありつる鶏ぞ』などたづねさせ給ふに…」(『枕草子』:尋ね。予想外の場所で鶏が騒ぎ出し事情を問いただした)。

「荒れたるやどの人のなきに、女の憚(はぱか)ることあるころにて、つれづれと籠居たるを、或人とぶらひ給はむとて……しのびて尋(たづね)おはしたるに」(『徒然草』:訪ね)。

「六条わたりの御忍び歩きのころ、内裏よりまかでたまふ中宿(なかやどり)に(途中の休憩所のようなところで)、大弐の乳母(めのと)のいたくわづらひて尼になりにける、とぶらはむとて、五条なる家、たづねておはしたり」(『源氏物語』:これは、ただ訪れただけではなく、情報を集め、その家を探しもしたでしょう)。

「「人の謗(そし)り、ねんごろに尋ねじ」と思(おぼ)しける」(『源氏物語』:深く追求し考え込まない。深く気にとめないようにしようと思った)。