「ただし(唯為)」。「ただ(直・唯・只)」はその項(10月25日)。「し(為)」は動詞。「ただ(唯)」の動態進行があることが明示的に表現される。「ただ(直・唯・只)」の項にある「ただし(但し)」にかんする部分を再記すれば、「「口つきあいぎやう(愛敬)づきて、少しにほひたるけ(気)つきたり。清げなりけり。唯(ただ)眉の程にぞおよすげ、あしげさも少し出で居たりと見る」(『落窪物語』:「およすげ」は、大人びた気(け)、や、老成、を感じさせるということ。「悪(あ)しげ」は、あまりよくない、ということ。「文(A)。ただ、文(B)」という表現があった場合、文(A)で言っていることはそのことへ経験経過進行しそれに影響を及ぼすことは期待できず、それは不干渉界に入ったように、閉ざされたように限定され、文(B)ではその補いがなされ、補足が言われたり、文(A)により生じる不信の解消や、それに対する確信性の無さをただし、確信を得ようとしたりする。たとえば、「その山に住むそのおばあさんは見るからに柔和でやさしいおばあさんだった。ただ、夜になると…」といったようなこと(これは文(A)に対する補足)。この「ただ」に動詞「し(為)」が加わると、文法で「接続詞」とも言われる「ただし(但し)」(その項)になる)」。

「文(A)。ただし、…」と言われた場合、文(A)で表現される事象(A)に同動する経験経過は期待できないことが言われそれは不干渉界に入ったように、閉ざされたように限定される。そして、それに続きその事象にかんし思うことが言われる。思うこと、とは、その事象があると起こると思われることや、その事象の原因を思ったり、や、その事象に関する疑問を思ったり、や、言っておいた方がよいと思った例外的場合を補足したりとか、そういったことが言われる。

「(龍の首にある五色に光る玉を取ってきた者はなんでも願いをかなえてやる、という)仰(おほせ)の事はいともたう(ふ)とし(尊し)。ただしこの玉たはやすくえ取らじを」(『竹取物語』)。

「十月を神無月といひて、神事に憚るべきよしは、しるしたる物なし。もと文(ぶみ)も見えず。ただし、当月、諸社の祭りなき故にこの名あるか」(『徒然草』)。

「まだ尋(たづね)る事がある(幽霊に尋ねている)……地ごくにも知る人(と会う)と云事が有るか、汝より先へいたものに逢ふ(という)事か。但し逢ぬ(という)事か」(「狂言」『武悪』:地獄では人と会うのか会わないのか、どんな人とどういう風に会うのか…、そのさまざまな不明なことが広がる事象は閉ざされたように限定され、会うことはないということか、と思ったことが言われる)。

「二階からせはしく手をたたきて、酒が飲(のま)れぬか、せめてひとり成(なり)とも出ぬか。ただし、かへれ(帰れ)といふ事か」(『好色一代女』:そういうことなら、それは私に帰れと言っているということか)。

「神武天皇よりはじめ奉りて、三十七代にあたり給ふ孝德天皇の御代よりこそは、さまざまの大臣定(さだま)り給ふなれ。ただしこの御時、中臣(なかとみ)の鎌足(かまたり)の連(むらじ)と申して、內大臣になりはじめ給ふ。そのおとゞは常陸(ひたち)の國にて生れ給へりければ、三十九代にあたり給へる御門(みかど)天智天皇と申す。その御門の御時にこそ、この鎌足のおとゞの御姓、藤原と改(あらたま)り給ひたれ。されば世の中に藤氏の初めは內大臣鎌足のおとゞをし奉れり。そのすゑずゑより多くの御門、后、大臣、公卿、さまざまになりいで給へり。たゞしこの鎌足のおとゞをこの天智天皇いとかしこく時めかしおぼして…」(『大鏡』:最初の「ただし」は、そして、二番目の「たゞし」は、そういうことであるが、のような意)。

「両議院の会議は公開す。但し政府の要求又は其の院の決議により秘密会と為すことを得」(『大日本帝国憲法』:事象(A)たる公開は一般であり、それに同動し影響することは期待できない。それはそうではあるが、補足として、例外が起こる場合があり、それはどういう場合かが書かれる)。

・この「ただし」は、古く、漢文訓読の世界に、「ただし、文(A)」という言い方により文(A)を限定すること、事象は文(A)で言われること、それしかないことを表現する言い方があった。「惟(ただし)願(ねがふ)世尊、我に一つの願を施し給へ」(『金光明最勝王経』如來壽量品第二:平安初期点)。これは、後世であれば、ただ願う、という言い方がなされるでしょう。しかし、古い時代にそう言った場合、それは(仏陀に)直面して願うような印象になり、「し(為)」を入れることにより限定されるのは自己の動態であることが表現されたということでしょう。