◎「たすけ(助け)」(動詞)

「たしすけ(足し助け)」。「たし(足し)」(その項)は足りた状態にし「すけ(助け)」(3月24日)は動態を引き受けることですが、「たしすけ(足し助け)→たすけ」は、足りた状態にすることで動態を引き受けるという意味で支援は間接的にもなり、「すけ(助け)」は単に他者の動態を引き受け、他者はそれにより楽になるわけですが、「たしすけ(足し助け)→たすけ」はそこに不足を充足することが加わり、「すけ(助け)」よりも支援や救済は手厚くなりもする。「すけっと(すけひと:助け人)」、「すけだち(助け太刀)」などという語や人名の「~のすけ(~の介・助)」(原意は、補佐者、の意)などは残りますが、後世では動詞「すけ(助け)」は言われず一般に「たすけ(助け)」と言われるようになる。

「天地(あめつち)の神もたすけよ(助與)草枕(くさまくら)旅行く君が家にいたるまで」(万549)。

「故(かれ)、三人(みたり)太子(ひつぎのみこ)を扶(たす)けまつりて、馬(みうま)に乘(の)せまつりて逃(に)げぬ」(『日本書紀』:これは、一書に、太子は酔って眠っていて起きなかった、などともあり、太子を襲う動きを知り、そういう状態の太子を馬に乗せた、ということでしょう。「たすけ」とはそういう意味)。

「左右の戸もみなよろぼひ倒れにければ、男ども助けてとかく開け騒ぐ」(『源氏物語』:これは戸の動作能力をたすけた)。

「『……おどろおどろしき病(やまひ)にもあらず、助けて参りたまへ』とそそのかしたまふに、かく重ねてのたまへれば、苦しと思ふ思ふ参りぬ」(『源氏物語』:これは自分に自分で補力する)。

死の危機にあるなにかの「命(いのち)をたすけ」はそのなにかは死の危機から解放される。

 

◎「だだ(駄々)」

「だだをこねる(だだを捏ねる)」の「だだ」。「ヂたたら(地蹈鞴)→ぢたんだ→ぢだだ→だだ」。火勢を煽る送風器具のうち、手で操作するものは「ふいご(鞴:ふいがう・ふきがは(吹き革))」。地に設置し足で踏むものが「たたら(蹈鞴):たてはら(立て腹)」(空気を含み膨らむ部分を腹と表現した)。幼児がなんとしても願望を通したく周囲に対し抵抗する場合、泣いたりすると同時に足で地を踏み鳴らすような仕草をすることがある。これを「ぢたたら(地蹈鞴)」を捏(こ)こねている(踏むというほどの操作すらしていない)と表現し、「ただをこねる」という表現になった。大人に関しては「ぢたたら(地蹈鞴)を踏む→ぢだんだ(地団駄)を踏む」という表現が別にあるが、幼児が「だだを踏(ふ)む」という表現も歴史的にはある。「だだを言う」という表現もある。だだを踏んだり捏ねたりしている状態で要求表現する状態でなにごとかを言うこと。

ちなみに、既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった特徴があると言われる、20世紀前半に主に西ヨーロッパで起こった芸術思想・運動たる「ダダイズム」の「ダダ」は日本語のこれではないのか。