◎「たしに」
「たしに(た為に)」。「た」は、形容詞「たとほし(た遠し)」、動詞「たもとほり」などの語頭にあるそれ(9月5日)。経験を超え限度を超えていること。「し(為)」は動詞。経験を超えたほど為(す)る状態で為(し)て、ということ。
「いくみ竹 いくみは寝ず たしみ竹 たしに(多斯爾)はゐ寝ず」(『古事記』歌謡91:「たしみ」はその項。「ゐね」は一般に「率寝」と書かれ、(女を)連れて行って一緒に寝ること、と解されているが、そういう意味ではない→「ゐね(結寝)」の項)。
◎「たしだしに」
「たしにたしに」。「たしに」が二度繰り返され強調された表現。「たしに」はその項。『古事記』の歌にある表現。
「笹葉(ささば)に 打(う)つや霰(あられ)の たしだしに(多志陀志爾) 結寝(ゐね)てむ後(のち)は」(『古事記』歌謡80:「ゐね」は一般に「率寝」と書かれ、(女を)連れて行って一緒に寝ること、と解されている→「ゐね(結寝)」の項)。
◎「たしみ」(動詞)
「たしみゐ(た滲み居)」。「たしみゐて→たしみて」といった表現から、「たしみ」が四段活用動詞化した。「た」は、形容詞「たとほし(た遠し)」、動詞「たもとほり」などの語頭にあるそれ。経験を超え限度を超えていること。「しみ(滲み)」は浸透的影響進行を表現しますが、「たしみゐ(た滲み居)→たしみ」、経験限度を超えて浸透している、は、多数の対象相互の関係がそうなっていればそれは一体化と言っていいほど密集している、人とものごとの関係がそうなっていればその人はそのものごとに忘我的に没頭している、人の心情がそうなっていれば、その人は深く沈み込むような心情になっている。
「たしみ(多斯美)竹 たしにはゐ寝ず」(『古事記』歌謡91:密集している竹。「ゐね」は一般に「率寝」と書かれ、(女を)連れて行って一緒に寝ること、と解されている→「ゐね(結寝)」の項)。
「睦 ……ムツマシ……シタカフ タシム」(『類聚名義抄』)。
「亦(また)酒に耽(たしむ)郁伽長者の荒れ醉へる者の爲(ため)に説きたまふ」(『大般(だいはつ)涅槃経』平安後期点)。
「かの和須蜜多が男を近付け、祇陀太子の酒を耆(たし)み………みな戒律に背けるに似たれども…」(『発心集』1100年代最末期から1200年代最初期ころか)。
「心中は哽咽(むせ)びて、自ら勝(た)ふるに能(あた)はず。侍婢數人、並びに皆歔欷(たし)んで、仰いで視るに能はず」(『遊仙窟』鎌倉期点)。