◎「たしなみ(向上み)」(動詞)
「たしねうやみ(足し価敬み)」。「たし(足し)」は充足させることであり(充足させるということは不足を思うということ)、「ね(価)」は、ここでは、人としての社会的な評価値、のような意。「うやみ(敬み)」は「うやうやし(恭し)」などにもなっている「うや」の動詞化表現ですが、「うやみ(敬み)」や「ゐやみ(礼み)」という動詞は、現実にはあったのかもしれませんが、資料にはないように思われる。「うやまひ(敬ひ)」や「ゐやまひ(敬ひ)」という語にはなっている。意味は、尊重すること。「たしねうやみ(足し価敬み)→たしなみ」、すなわち、充足される人としての社会的な評価値を尊重する(敬(うや)む)、とは、つねに、より価値の高い、人としてより価値充足した、自分になることを心がける・努力する、のような意味になる。漢字表記は通常「嗜み」と書く。「嗜(シ)」は『説文』に「欲喜之也」とされる字。「向上み」はここだけの表記。
「この道(和歌の道)をたしなむ人は、かりそめにも、執(しふ)する心なくて、なほざりに詠み捨つる事侍(はべ)るべからず」(『毎月抄』)。
「いまだ堅固(けんご:まったく)かたほなるより(不完全なころから)、上手の中なかにまじりて、毀(そし)り笑はるゝにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜(たしな)む人、天性、その骨(こつ)なけれども、道になづまず、みだりにせずして年を送れば、堪能(かんのう:才能のすぐれた人)のたしなまざるよりは、終(つひ)に上手の位にいたり、徳たけ、人にゆるされて、雙(ならび)なき名を得ることなり」(『徒然草』:この「たしなみ」は「絶望(たしな)み」(その項・10月21日)の意に読めないこともありませんが、「向上(たしな)み」でしょう)。
「あの様な御嗜(おたしなみ)の能(よい)御方は御ざるまい」(「狂言」『止動方角』:生活一般に価値向上努力がある)。「又、檀那をもてなさんとて、煎豆(いりまめ)、座禅豆(ざぜんまめ)をたしなみおけば、一夜のうちにみなになし(消失させてしまい)」(「御伽草子」『猫のさうし』:これも生活一般に価値向上努力がある。ちなみに、これは鼠に言っている。「座禅豆(ざぜんまめ)」は乾燥した、納豆の一種ですが、塩気があり、僧が、座禅の際、尿を抑制するため食べたと言われる)。
「弟 「空誓文(そらぜいもん:空虚な誓い)をすまじき為の頼りとなる事ありや」 師 「常に誓文をせざるやうに嗜(たしな)む事也」」(『どちりいな-きりしたん』:タイトルはポルトガル語「Doctrina Christã(キリスト者の教義)」の音(オン))。
「『若衆さま、御姿と申、御心遣と申、まことに残るところも御座ない。されども、よそへ御出であつて、人の刀、脇差、鼓、大鼓によらず、よく値ざしをなさるゝ。これ一つが玉に疵ぢや。よくよく向後は御たしなみ候へ』といふ。若衆聞し召し、『さてさて過分な御意見ぢや。ずいぶんたしなみ申さう。まことにまことに此やうなるかたじけなき御意見は、百貫でも買はれまひ』と、はやくわせた。」(『きのふはけふの物語』:これは笑い話の書であり、あなたは何でも値段で表現することが玉に瑕、と言われ、よいことを言ってくれた、これからはたしなもう、と言い。その良い忠告は百貫でも買えない、と値段をつけた、という話)。
「身だしなみ」(身にかんするたしなみ。つまり、衣服や髪・髭やといったようなこと)。
◎「たしなめ(向上め)」(動詞)
「たしなみ(向上み)」の他動表現。充足される人としての社会的な評価値を尊重させる(敬(うや)ませる)、つねに、より価値の高い自分になることを心がけさせる・努力させる―そうさせるよう働きかける。
「素藤(もとふぢ)は憗(なまじい)に君(きみ)を寠(たしなめ)んとしたれども、御曹司を害し得ずして、那身(かのみ)は反(かへつ)て矢傷を受(うけ)たり」(『南総里見八犬伝』)。