「とはやし(~と逸し)」。「と」は助詞。「はやし(早し・逸し)」は形容詞(その項参照)。「行きとはやし→行きたし」は、「~と」で動態が思念化し、その動態で逸(はや)っている(発生的に活性化している)心情にあることを表明する。この「たし」は、語尾が音便化し「見たい」「行きたい」等の表現にある「~たい」になり希求・欲求を表現するそれですが、『万葉集』の歌に「ふりたきそでを(振痛袖乎)しのびてあるかも」(万965)という表現があり、この「たき」はここで言う「たし」の連体形です。この、希求・欲求を表現する「たし」は、建仁元年(1201年)にある人が歌で用い「俗人の語には聞くが和歌の詞には詠じない」と評価されたものですが、けしてその頃に俗語として生まれたわけではなく、奈良時代以前に生まれ、しかも、奈良時代にもそれは俗語だったのでしょう。前『万葉集』の歌は「遊行婦女」と書かれる女の歌です(俗語的印象のない希求・欲求表現としては古くは「~まほし」と言った。「行きたい」は「行かまほし」(助詞の「しか」もある))。それが、公家の権威が崩れ野に生きているような武家が台頭し、歌にも現れるようになった。この表現が俗語として扱われたのは、それが希求や欲求を直截に表現するものであること、「はやし」の元来の意味も希薄化し意味も分かりにくくなり、「~とはやし」という表現も、非常に古いもので、奈良時代にももはや違和感があったのではないかと思われること(つまり、言葉の成り立ちがよく分からなくなっておりその出自に怪しい印象をもたれたということです)、などが理由です。なお、この表現は、たとえば「行きたし」などのように、助詞「と」の前に動詞連用形が来るわけですが、これは「ありとあらゆる」「生きとし生ける」などにも残り『古事記』の歌「梯立(はしだ)ての倉椅(くらはし)山を嶮(さが)しみと岩かきかねて我が手取らすも」のように、古くは当たり前にあった表現です(「さがしみ」の「み」は動態を表現し、作用は四段活用動詞連用形と変わらない)。『源氏物語』には「生きとまるまじき(生きともあるまじき)心地」という表現がある。また、古くから「けぶたし(煙たし)・けむたい」「ねぶたし(眠たし)・ねむたい」といった表現もありますが、これは「けむりいたし(煙り甚し)」「ねぶりいたし(眠り甚し)」であり、「煙り」や「眠り」(眠たい状態)が甚(はなは)だしいことを表現する。この表現による「いきたし(行きたし)」という表現があったとしても、それは行くことが甚だしいのであって、行くことへの希求・欲求が表現されているわけではない。
「今朝はなどやがて寝暮し起きずして起きてはねたく暮るヽまをまつ」(『栄花物語』(1100年頃か))。
「…琴(きむ)のことの音(ね)ききたくば、北の岡の上に松を植えよ」(『梁塵秘抄』(1180年頃))。
「いざいかに 深山の奥にしをれても 心知りたき秋の夜の月」(『千五百番歌合』(1202年))。
「『あなめでたの妓王御前の幸やな。同じ遊女とならば誰も皆あのやうでこそありたけれ』」(『平家物語』)。