◎「たがね(飴)」
『日本書紀』に「飴」を「たがね」や「たがに」と訓(よ)んでいる部分がある。ここから「たがね」は「あめ(飴)」の古語とも言われる。この「たがね」は「とはがにへ(永遠が贄)」でしょう。永遠の(古くからの) 「にへ(贄)」ということ。「にへ(贄)」は、生まれた(今までなかった)食べ物であり、それは神への供物でもある。この「とはがにへ(永遠が贄)→たがね」の実体は餅(もち)でしょう(方言には「たがねもち」という語がある)。「飴」の字は、甘美な、よろこびのある、食べ物、という意味で、美称的に用いられたのでしょう(「心」に「台」のついた「怡」の字は、よろこぶ、や、やわらぐ、や、たのしむ、を意味する)。「飴(イ)」の字に関しては『説文』に「米糱煎也」とあり、「糱」にかんしては「牙米也」とある。「牙米」は胚芽米か。つまり、『日本書紀』において、神武天皇は飴(あめ、特に、水あめ)を作ったわけではない。
「天皇(すめらみこと)又因(またよりて)祈(うけ)ひて曰(のたまはく) 「吾(われ)今(いま)當(まさ)に八十平瓮(やそひらか)を以(も)て、水(みづ)無(な)しに飴(たがね)を造(つく)らむ…」」(『日本書紀』)。
◎「たがね」
「たしかなへ(足し叶へ)」。不足した機能に機能を足して要求を叶えること、補助にすること。「手束杖(たつかづゑ)腰にたがねて(多何禰堤)」(万804)という表現がある。腰の辺りで杖を支え歩行の補助にしている。これは一般的な動詞というわけではないでしょう。