◎「だかたされ」
これは『日本書紀』歌謡40にある表現。当該原文は、「… 異椰敷多那羅弭(いやふたならび) 豫呂辭枳辭摩之魔(よろしきしましま) 儾伽多佐例(だかたされ) 阿羅智之(あらちし) 吉備那流伊慕塢(きびなるいもを) 阿比瀰菟流慕能(あひみつるもの)」(『日本書紀』歌謡40)。「だかたされ」は、「ではかたさあれ(出努果たさ有れ)」。「ではか(出努果)」は、出(で)た、現出した、現実となった、努力成果。つまり、現状。「た」は「たやすし(た安し)」その他の「た」。「まったく」のような意。「さ」は、「ではか(出努果)」、すなわち現状をさし、「あれ(有れ)」は已然形であり、全体は、結果はそのような現状だが…、の意にも読め、「さ」は、冒頭から言われている「…異椰敷多那羅弭(いやふたならび) 豫呂辭枳辭摩之魔(よろしきしましま)」までの情景をさし、「あれ(有れ)」は祈るような命令形であり、全体の意味は、(男と女の、つまり、応神天皇と兄媛(えひめ)の)仲はそのようにあれ、と祈るように言っているようにも読める。ようするに、両意を含んでいるということか。つづく「阿羅智之(あらちし)」は、「あらちしり(新路知り)」。「り」の音(オン)が退行化している。意味は、兄媛(えひめ)を見る新たな途(みち)を知り→なんとかして。「阿比瀰菟流慕能(あひみつるもの:相見つるもの)」の「もの」は、「天飛ぶや鳥にもがもや都まで送りまをして飛び帰るもの」(万876)などの歌末にあるそれであり、想念世界を表現する「もの」(→「もの(物)」の項)。二人が直接に逢っている想念世界にあること、兄媛(えひめ)とともにある想念世界にあることが表現され、それが、そうありたい思いを表現する。ここでは、「新路(あらち)知り、相(あひ)見る…」のような表現になる。
◎「たがね(鏨)」
「たちかんね(断ちかん音)」。「かん」は金属と金属を打ち合わせた際に発する音の擬音。古代においてそのように表記されたということではない。仮に表記すれば「たちかにね」ということかも知れないが、この語は工人により現場で言い慣わされた語であり、初期的表記などはないだろう。意味は、「かん」と音をたてて断ち切る金属具、ということ。手で握る短い棒状のものであり、一端が刃状になり、これを金属や岩などにあて、他方を金槌などで叩き、それを断ち切る。
「鑚 ………漢語抄云太加禰」(『和名類聚鈔』)。