◎「たえ(絶え)」(動詞)
「ちあえ(路落え)」。「あえ(落え)」は、構成力が空虚化し、それが物であれば崩れ滅びるように落ちていく。「ち(路)」がそうなるとは、目標への進行がなくなること。目標ある進行感のあることやものが切断され落下したように喪失してしまう。それが紐や弓の弦であればそれは紐や弦としての構成は破綻し崩れるように切れる。それが生命や伝統や関係であればそれは生命の生命たる、伝統の伝統たる、関係の関係たる、構成力は喪失する。すなわち、目標感のあるものやことが目標に到達せず喪失する、連続によって成立しているものやことがある部分やあるとき連続が喪失する。糸がたえれば糸は切れる。関係がたえれば関係はなくなる。ちなみに、古代においては子音は後世よりも明瞭であり「ち」は20世紀などよりも「てぃ」に近い音(オン)であったと思われる。
「草枕(くさまくら)旅の丸寝の紐(ひも)たえば(多要婆)吾(あ)が手とつけろこれの針(はる:波流)持(も)し」(万4420:紐が劣化し切れる。これは「針(はり)をもって:針で」つけろ、ということであり、「はる(波流)」は「針(はり)ゆ」であり、「ゆ」が手段・方法を意味しているということでしょう→「徒歩(かち)ゆ行く:徒歩で行く」)。
「わたつみの海に出でたる飾磨(しかま:思可麻)川たえむ(多延無)日にこそ吾(あ:安)が恋やまめ」(万3605:存在がなくなる。この川は兵庫県姫路市飾磨(しかま)区の川かと言われる)。
◎「たえて(絶えて)」
「たえ(絶え)」はその項。(あるものやことが)絶えてない、は、そのものやことの、ものやこととしての構成力が喪失して、無い。すなわち、そのようなものやことは、ものやこととしての時空における構成力は喪失している。ものやことの時空における構成力があるとはその存在に継続があるということであり、「たえて(絶えて)」は、ものやことの存在(あること)の継続が無いことを表現する。「桜がない」はただ対象たる桜がない。「たえて桜がない」は、過去も未来も、時空を超えて桜がない。
「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(『伊勢物語』)。