「タウヘンボク(倒返墨)」。「墨(ボク)」は、中国のある人物(「墨守(ボクシュ)」の由来になっている人物)の名の語頭一字。「倒(タウ)」は、倒(たお)す、の意であり、打ち負かす、ということ。「返(ヘン)」は、ここに漢文の返(かへ)り点(テン)、レ点、が入ることを示す。つまり「倒」の字と「墨」の間にレ点があり、下から上へと返って読み、全体は、墨を倒す、墨を打ち負かす、の意になる。その場合、「墨」は中国の古い故事にある「墨子(ボクシ)」であり、この人物は城の堅固な守りを示した。そこから「墨守」が、堅固な守り、の意になり、これが、自説を堅く守る→周囲の意見を受け入れない、という意味で用いられるようにもなる。その墨子を打ち負かすとはどういう意味かというと。墨子の堅固な守りを打ち破り勝利する、という意味ではない。墨守は、自分の意思を頑なに維持し他の人の意見を受け入れない、それに影響されない、という意味で言われ、その墨に打ち勝つとは、その墨がかなわないほどの強力さで自分を維持するということであり、それはどういう状態の人かというと、他の人の思いや心情や考えに影響されないのではなく、その人にある思いや考えがあるということに気づきもしない。通常言われるその思いとは、女の男に対する恋心(こいごころ)。どんなにほのめかしてもその男はその女に自分への恋心があるとは気づかない。そういう場合、その男は「たうへんぼく」になる。事情を知っているが事情の意味を知らず事情を知らない場合と同じ状態になることも「たうへんぼく」になる。たとえば、老いた父親が死ぬ。息子が遺品を整理する。そこに古びた竹筒に入った細い耳かきのようなものを見つけ、男はそれは折って捨て、竹筒は仏壇の線香立てに使う。父親の友人が訪れ、仏壇に線香を供えさせてくれと言う。その友人は仏壇の前で、そこにある線香立てを見て不審に思う。『これ、中のものはどうしたんですか?』と聞くと、『折って捨てた』と言われ友人は愕然とする。それは死んだ父親が大切にしていた千利休の茶匙だったのである。
「『…せうや(庄屋)のしつたことじやない。すつこんでゐさんせエ。とうへんぼくのくせに』」(「合巻」『裙(つま)模様沖津白浪』)。