◎「そみ(染み)」(動詞)

「せふみ(瀬踏み)」。「ふみ(踏み)」は実践すること。瀬(水流)を実践する、とは、水の流れになったような動態になること。たとえば布などにおいて(布という環境において)、Aが水の流れのような動態になった場合、「Aが布にそみ」であり「Aに布がそみ」とも言い、客観的に表現すれば、布はAに染(そ)まり、Aの動態が直接に表現されれば、Aが布に浸(し)み、になる。Aの色が赤であれば、「Aが布に赤くそみ」「Aに布が赤くそみ」、布はAに赤く染(そ)まり、Aが布に赤く浸(し)み。

他動表現は「そめ(染め)」。

「白き糸のそまん事を悲しび」(『徒然草』:糸がそむ、ということですが、糸の色が変わることをそう言っている。これは、白い糸が黄色にも黒にもなることを墨子が泣いたという、中国の書『蒙求』にある話を言っている。人間が悪にも善にもなることが悲しいそうです)。

「紅のしぐれなればやいそのかみ降るたびごとに野辺のそむらむ」(『紀貫之集』:野辺が紅にそむ。「しぐれ」にかんしてはその項)。

「世の中に、よしあり、 賢(さか)しき方々の人とて見るにも、(その人は)この世にそみたるほどの濁り(この世がそれによって世になっているほどの濁り)深きにやあらむ」(『源氏物語』)。

「きみかさすみかさの山のもみちはのいろ 神な月しくれのあめのそめるなりけり」(『古今集』:この「そめる」は他動の「染(そ)め」ではない。これは連体形であり、その場合は「そむる」になる。これは「そみ」に完了の助動詞「り」。時雨の雨が「そみ」になっているのが「みかさの山のもみちはのいろ」だと言っている)。

 

◎「そみかくだ」

「ソウみきはくちは(僧身、着は朽ち葉)」。身は僧、その装いは朽ちた木の葉のよう、ということ。その昔、そのように表現された仏道修行者たちがいた。修験者や山伏の異称。この語、語源にかんしては未詳と言われる。

「蘇民書札 ソミカクダ 上古ノ俗、斥テ行脚ノ修験者ヲ爾(そのように)云」(『書言字考節用集』)。

「もろともに、あはれと思へ山桜。花に心をそみかくだの、すがたにかふる人人の、御有様こそいたはしけれ」(「浄瑠璃」『凱陣八島』「義経道行」)。