◎「そぼろ」

「そもほろ(其もほろ)」。「そ(其)」は思念的に何かを指し示す。「それ」などの「そ」。「ほろ」は客観的に存在化した動態が離れ(剥がれ:独立化し)ていく状態にあることが表現される擬態→「ほろほろ」の項。分散化し崩れていく。「そもほろ(其もほろ)→そぼろ」は、それがそれとしてあることもホロホロとくずれていくようだ、ということであり、それがそれとしてある存在感が危うい状態であることを表現する。「麁綴(ソボロ)の躰(テイ:ありさま)」は、衣服に代表されるその社会的存在感がくずれていくようなありさま。「そぼろなる形(なり)」もそのような意味。「(葱を)そぼろに刻む」は、葱のそれとしてのあり方がくずれるように刻む。魚肉や鶏肉などをそれとしてのあり方(生体としての原形)が分散化し崩れ、その存在感がなくなるように調理したものも、(料理名として)「そぼろ」という。雨としての確かな動態感の乏しい雨を「そぼろ雨」と言ったりもする。

 

◎「そま(杣)」

「しおひよま(為生ひ世間)」。「ひ」の脱落。語頭の「し(為)」はそれが意思的・故意的なことであることを表現する。「おひ(生ひ)」はこの場合植物、主的に樹木、が生ひ育つ。「しおひ(為生ひ)」は意図的な、人の意思が働いている、(樹木の)生ひ・発育・育ち。その「しおひ」が起こっている「よ(世):世界」の「ま(間):限定域」とは、植林され利用用の樹木が育てられている所。これは山であり、利用用の木材の切り出しも行われる。樹木を伐採する際、そのそばに同じ種の若木を植えれば、やがてそれが育ち、また利用できる。「そまかた(杣)」や「そまびと(杣)」はその杣(そま)で樹木の伐採、切り出し、運搬などのことをする人。伐採され切り出され運搬されるその原木も「そま」と言ったりする。

「宮材(みやき)引く泉(いづみ:地名)の杣(そま:追馬喚犬)に立つ民のやむ時もなく恋ひわたるかも」(万2645:「追馬」は「そ」、「喚犬」「ま」と読む。古くは「そ」と馬を追い、「ま」と犬を喚(よ)んだらしい。「喚犬追馬鏡(まそかがみ)」(万3324))。

「そまくだし霞たなびく春くれば雪げの水もこゑあはすなり」(『別雷社歌合』:これは切り出した原木。この原木は筏(いかだ)に組み、川を流れ下り運搬した)。