◎「そぼち(濡ち)」(動詞)

「せおひおち(瀬生ひ落ち)」。「せ(瀬)」は水の流れ。「おひ(生ひ)」は発生し育つこと。水の流れがとめどなく溢れ流れ落ちていく、ということなのですが、これが「なきそぼち(泣きそぼち)」という言い方により、泣き、とめどなく涙があふれ流れる状態になっていることを表現する。さらに、これは応用発展でしょう、ひどく(あるいは、深く)濡れることや、ひどくしみ濡らすように雨が降ることなども表現する。「そほち」と清音でも言う。活用は元来は上二段活用であり、動詞として成熟するにつれ四段活用になったのでしょう。

「…玉笥(たまけ)には飯(いひ)さへ盛り 玉盌(たまもひ)に水さへ盛り 泣きそほち(曾裒遅)行くも 影媛(かげひめ)あはれ 」(『日本書紀』歌謡94)。

「あさ露をわけそほちつつ花見むと今その山をみなへしりぬる」(『古今集』)。

「あけぬとてかへる道にはこきたれて雨も涙もふりそほちつつ」(『古今集』)。

 

◎「そほど(案山子)」

「そひおぢひと(添ひ懼ぢ人)」。「ぢひと」が「ひ」が退化しつつ「ど」になっている。添(そ)ひ(同居したような関係になり)、気力が衰化して様な状態になる人、ということですが、懼(お)ぢるのは添(そ)ふ人ではなく、添(そ)はれたなにか。具体的には鳥や獣。栽培されている植物のそばにこれが居(ゐ:立てられ)、鳥や獣が懼(お)ぢ恐れ近づかなくなる(少なくともそれが期待される)。別名「かかし(案山子)」。「そほづ」という語もあり、これは「そほどおひ(添ひ懼ぢ人負ひ):添ひ懼ぢ人をするもの」。

この語は「そうづ(添水)」とは別語。

「故(かれ)、其(そ)の少名毘古那神(すくなびこなのかみ)を顯(あらは)し白(まを)せし所謂(いはゆる)久延毘古(くえびこ)は、今者(いま)に山田の曾富騰(そほど)といふぞ。此(こ)の神は、足は雖不行(いかねども)盡(ことごと)に天の下の事を知れる神なり」(『古事記』)。