◎「そない」
「そなイ(そな異)」。「そな」は「そのような→そんな」ということ。そのような異(イ)、変わった、の意。「そないなことおっしゃっても…」。大阪方面でよく言われる表現です。動態を表現する場合「そないに」という言い方をし、「そない」が動態内容を表現したりもする→「そない言ふたかて…」(そんな風に言っても…)。
「『おう、薑(はじかみ)の食ひ合(あは)せとやらで、そないな事もおぢやろ』」(『狂言記』「胸つき」)。
「そない走って躓(つまづ)いたら、手ゝや膝ぼん摺(すり)むきましよ」(『彦山権現誓助剣』「浄瑠璃」)。
◎「そなた(其方)」
「そのはてら(其の果てら)」。「そ(其)」はその項。「はて(果て)」は何かを経過した方向にあることを表現し、「そのはてら(其の果てら)→そなた」は、思念的に指し示される情況、そうした情況にあるもの・ことを経過した情況、そうした情況にあるもの・ことを表現する。「御達(女房たちは)、東の廂にいとあまた 寝たるべし。戸放ちつる童もそなたに入りて臥しぬれば」(『源氏物語』:そちら。空間的に特定性のある位置)。
「そなたにもまゐらまほしきを」(『多武峯少将物語(たふのみねせうしゃうものがたり)』:(相手たる)そちら)。この「そなた」は二人称になる。「『扨々(さてさて)そなたは美目(みめ:見た目)が能(よけ)れば心迄が能い』」(「狂言」『どんだらう(鈍太郎)』)。「こなた(此方)」(→その項・2022年4月1日)も二人称になりますが、「そなた」は、「そ」の記憶再起性により、表現は主観的直接的となり、「こなた」よりも尊重感が乏しい。かといって「こなた」も「こ」の特定性・個別性によりさほど敬意のあるものではなく、やがて、江戸時代には、ある程度尊重感のある二人称は「あなた(彼方・貴方)」になっていく。「『そなたには興福寺へいませ。われは、もとより三論宗を少し学したれば、東大寺へまからん」』」(『発心集』:二人称)。