◎「そ(其)」

S音の動感、それによる記憶への作用・記憶再起性、と、O音の目標感・客観的対象作用・存在感は思念的に何かを指し示す効果を起こす。「それ(其れ)」。「その(其の)」。「そなた(其方)」。「そこ(其処)」。

「みつみつし 久米の子らが 粟生(あはふ)には 韮(かみら)一本(ひともと) そ(曾)根(ね)が本(もと) そ(曾)根(ね)芽(め)つなぎて 撃ちてし止まむ」(『古事記』歌謡12:「みつみつし」はその項。「かみら(韮)」は「かにら(香韮)」。「に」と「み」は交替する。「かにら(香韮)」は、強い臭覚刺激性のある草、という意味で言われている。その臭覚刺激を代々忘れず、刺激されつづけ、受け継ぎ、撃ちてし止まむ、ということ)。

「そは、心ななり。御自ら渡したてまつりつれば、帰りなむとあらば、送りせむかし」(『源氏物語』:「~ななり」は、~のように思われる、ということ。ここにある「心ななり」は、あなた(少納言:若紫の乳母)のお心しだいのように思われる、ということ。「御自ら渡したてまつりつれば」は、(若紫を二条院へ)渡したのは少納言、のような言い方)。

 

◎「そ・ぞ」(助詞)

S音の動感、その記憶再起性や(誘いの「さ」にあるような)動態誘引性と、O音の目標感・対象感・それゆえの存在感により、何かを指し示す効果があり、指し示しはその強調も表現する。「うまし国そ(曾)、あきづ島大和の国は」(万2)。強調を表現する「ぞ」にもなる。「これぞ真(まこと)の…」。この「ぞ」は、感嘆的「よ」が働いた「そよ」でしょう。強調は何かを他者に強く提示することでもあり、強調的提示は教示にもなる。「(鰻は)夏痩せによしと言ふものそ」(万3853)。「見ろ、お化けだぞ」の最後の「ぞ」は指し示し教えている。この「ぞ」により、言いたいことを先に言うという表現がなされることがある。「花が咲いている」と現象を客観描写的に表現するのではなく、「花だ、咲いてる」(花ぞ咲ける、花ぞ咲きたる)のような表現をする。まず結論を言い、その後理由を述べるような、まず言いたいことを言い、その後補足表現するような、表現です。「右近ぞ見知りたる」(『枕草子』:右近だ、知ってるのは)。「今ぞくやしき」(万3001:今頃になってだ、くやしい)。「玉鉾(たまほこ)の君が使(つかひ)を待ちし夜のなごりそ今もいねぬ夜の多き」(万2945)。これは「そ(ぞ)…連体形」の係り結びと言われている。係り結びに関しては「か(助詞)」の項(2021年1月6日)参照(※)。

「な言ひそ」のような、「な~そ」という柔らかな禁止表現がありますが、「そ」だけでそれが表現されることがある。「うし(牛)のこ(子)に ふ(踏)まるなには(庭)の かたつふり(蝸牛) つの(角)のあるとて み(身)をはたの(頼)みそ」(『寂蓮法師集』)。この場合は、「な~そ」という表現習慣を背景に、「身をば」の「は」が条件表現となり禁止が推測的に働く(もっとも、この歌は、身が頼りだぞ(自分が大事だ)、とも、身を頼むな(自分を過信するな)、とも読める)。

※ この、文法で「係り結び」と言われている表現特性は古くから気づかれ言われているものですが、総合的にまとめたのは江戸時代の本居宣長。「係り結び(加〻理牟須毘)」という語は富樫広蔭『詞玉橋』(1826~1846)が初見か。ただし、彼の命名というわけではなく、一般に言われていたことを説明しただけかもしれない。