「セワ(世話)」。つまり「世話」の音(オン:「ワ」は呉音系の慣用音。漢音は「クヮ」や「クヮイ」。21世紀の中華人民共和国では後音上がりの「フヮー」のような音) 。「セワ(世話)」の意味は、世(よ)の話(はなし)、ということなのですが、世の中で起こっている言語活動やその内容です。世の中で日常的な言語活動、という意味で、口語や俗語も「せわ」といわれる。「NIFONNO(ニホンノ) COTOBA(コトバ) TO(ト) Hiſtoria(ヒストリア) uo(ヲ) narai(ナライ) xiran(シラン) to(ト) FOSSVRV(ホッスル) FITO(ヒト) NO(ノ) TAMENI(タメニ) XEVA(セワ:世話) NI(ニ) YAVA(ヤワ) RAGVETARV(ラゲタル) FEIQE(ヘイケ) NO(ノ) MONOGATARI(モノガタリ)」(『天草版平家物語』扉紙)。世の中で言われていること、という意味にもなる。「誠に世話にも、建長寺の庭を鳥箒ではいた様な、と申が、角から隅に塵が一つござらぬ」(「狂言」『鐘の音』)。
また、世(よ)とは経験経過であり、世の中とは人と人との関係経過であり、「せわ(世話)」は、人付き合いとして発生する言語活動関係、さらには、そうした人付き合い(これが「世の話・世のこと」)において発生するもめごと・ごたごたや問題にかかわったり巻き込まれたりしての言語活動関係、さらには活動一般 (歌舞伎の「世話物」はそうした庶民の人付き合い的な出来事(それは、当時としての、今の出来事であり、歌舞伎では「世話物」と「時代物(昔の物語などを素材にした芝居)」が対になる)を素材として扱った出し物、の意) 、といった意味にもなり、「世話をし」が、単に世の話をするだけではなく、人と人との関係のもめごとやごたごたに関わったり、これを社会的に処理したりすることも意味し、「人の世話をする」と言っただけで何らかの努力負担を負うことも意味し、問題を処理する人が、世話人、だったりもし、ついには犬の「世話」や猫の「世話」などもするようになる。「そしてだれがおまはんの病気の世話をしますヱ」(「人情本」『春色梅児誉美』:これは、看病、看護、の意)。
「世話を焼(や)く」や「世話が焼ける」という表現は「世話役(セワヤク)」の「ヤク(役)」と動詞の「やく(焼く)」が同音だったことによるもの。「世話役(せわやく)」(全体の世話をする人)と同じ意味で「せわやき」とも言う。一方、花札賭博で役(ヤク:点数を得るための一定の条件にかなった札の揃い)なしで負けることを「手焼き(てやき)」と言う。この場合「て(手)」とは手にある札でありその状態です。これが役にならない場合「やく(焼く)」にならず焼けて灰になり(札ではなく)手が焼けて火傷を負った、ということです。そして、役(ヤク)なしで対応に苦労したり窮したりすることは「手を焼く」「手が焼ける」。それらの影響もあり、「ヤク(役)」が動詞化し、「世話を焼(や)く」は「(さまざまな社会関係や世のしがらみで)世話の役回りを負う」、「世話が焼ける」はその役で火傷(負担や苦労)を負う。
「世話ない」は、世話(手間・苦労)がかからない、という意味でも言われますが、多くは、話(はなし)にならない、筋道が通らずでたらめ、ということ。「人に注意しとること自分がやっとったら世話ないわ」。