「セリフ(世理布)」。「布(フ)」は、敷(し)く、広く行きわたらせる、という意味であり、「流布(ルフ)」「布告(フコク)」などの「フ」。「セリ(世理)」は、「セワ(世話)」は世(よ)の話(はなし)、世の中で起こっている言語活動やその内容、ですが、「セリ(世理)」は、世(よ)の理(ことわり)、世の中として理性的に正しいこと、その内容。それを敷(し)き、のべ伝え、広く行きわたらせること、その内容、が「セリフ(世理布)」。記憶した言語表現や人工的に設定されたその情景、その人工的な時空場にふさわしい適切な言語表現は理性的にコントロールされた言語表現であり、その類似から、役者の芝居中の言語表現も「せりふ」と言い、これは漢字では「台詞」(書かれたこと)や「科白」(役者が舞台上で言うこと)と書かれる。
「ぎり(義理)につまった女房のせりふ、もっともと胸にこたへしより房(ふさ:人名)が大事をはつたりと忘れたり」(「浄瑠璃」『重井筒』)。
「催促は彼(債権者)に斉(ひと)しき発客(はんもと)の主管(ばんとう)なり。稿本だひだひ虐(せたぐ)れど、紺屋の明後日(あさつて)作者の明晩、久しい分説(せりふ)と合点して…」(「滑稽本」『浮世風呂』:この「せりふ(分説)」は、世の中で、世の中とはそういうもの、として言われていること、のような意)。
「敦盛(能の曲名)は、はじめのせりふのうちに『方方はいかやうなるお僧ぞ』とたづね」(『わらんべ草』:これは舞台での役者のせりふ。『わらんべ草』は狂言の伝書)。
・「せりふする」という言い方もなされ、一般的には、その「世理(セリ)」を言うことを意味し、また、「せりふしてもらいたい」(債務を弁済しない(借金を返さない)、それを世の中に通用している常識として正当化する、世理(セリ)を言ってもらいたい(できないだろう、借金を返せ)、という表現もなされる。「せりふうつ」という表現もあり、この「うつ(打つ)」は、芝居をうつ、のそれに同じ。これも事情への配慮などなく金品などをねだることなどを意味する。つまり、相手に不利益を負わせて利益を得ることの「ことわり」を「セリ(世理)」と表現し、それを現すことを「せりふする」や「せりふうつ」と表現したわけです。
「『見やんせ。こないに疵(きず)がついてはすまんわいな。……サアごんせごんせ(来なさい来なさい(逃げずにそこにいろ、か。「ごんす」は、ございます))。何じやあろとこゝへいて、めきしやきと(明瞭に)、せりふせにやおかんわいの』」(「滑稽本」『東海道中膝栗毛』:この「せりふする」は、言い分を言ったり言い訳したりする)。
「せりふする 一理窟いふことなり」(『浪花聞書』)。
「爰(ここ)へござんしてから三十日余りの座敷代……何ぢやあらうと今夜中にせりふして下さんせにやなりませぬ」(「歌舞伎」『五大力恋縅』)。