◎「せめ(迫め・責め・攻め)」(動詞)

「せ」は、S音の動感とE音の外渉感により、動態勢力昂進を表現する(→「せ(瀬)」の項・5月31日)。何かが、あるいは何かに対し、意思動態的に動態勢力が昂進する。自動表現。

ただ主体の動態勢力が昂進する場合もある。「山川のみなきる水の音きけはせむるいのちそおもひしらるる」(『山家集』)。「つぎつぎとどこほることしげくて、かく年もせめつれば、え思ひのごとくしあへで…」(『源氏物語』)。

「福貴熾(さかり)なる時は高名華裔(クヮエイ:中心と辺境。全土)に振ひしかども、妖災(エウサイ)窘(せ)むる日は帰(よ)る所無くただ一旦に滅びき」(『日本霊異記』)。

 

◎「せめ(狭め)」(動詞)

「せ」は障碍感を表現する(→「せ(狭)」の項・6月3日)。意思動態的になにかに障碍感を生じさせる。他動表現。「せばめる(狭める)」に意味は似ている。この語、一般に独立の動詞としては評価されておらず、「せめ(迫め・責め・攻め)」(その項)として扱われている。

「赤地の錦の直垂に黒糸威の腹巻の白金物打つたる胸板せめ」(『平家物語』:胸板の空きをせばめ密着させた)。

「御前にて御したうづ(下沓)のいたうせめさせ給ひけるに、御心もたがひていと堪へ難うおはしましければ…」(『大鏡』)。

 

◎「せめぎ」(動詞)

「せめきり(迫め・責め・攻めきり)」の「き」の濁音化と「り」の脱落。古くは「せめき」の清音もあった。「きり」は、「やりきり」のそれのように、こと(動態)の存否を決する完結的最終的なことであることを表現するそれ(→「きり(切り)」の項・2021年9月9日)。「せめぎりて」のような表現において「り」が脱落し「せめぎて」といった表現により「せめぎ」が動詞化した。意味は、最終完結的に迫める動態になること。最終完結的に迫める動態になるとは、迫めず容認的に後退する動態はなくなるということです。つまり、ただ迫める。これは争いにもなる。双方がそうあれば「せめぎあひ」になる。

「其の賊…自ら闘(せめ)いて散(あか)れぬ」(『三蔵法師伝』)。

「老いぬとてなどか我が身をせめぎけん 老いずば今日に逢はましものを」(『古今集』:せめているのは我であり、せめられているのも我であり、つまり、老いたとて、なぜそれを気にしてそれをなくそうと動態勢力を昂進させるのだ→老いは自然のこととしてゆったりと受け入れろ、といった意味になる)。

「両軍のせめぎあひ」。

「鬩 ………セメグ」(『類聚名義抄』:「鬩(ケキ)」の字は、原文は「門」(もんがまえ)で書かれていますが、数ページ後に、それは今の慣用とし、正字が書かれる。「鬩」は『説文』に「恆訟也」とされる字であり、「鬥(トウ、ツ:とうがまえ)」は「兩士相對,兵杖在後」とされる字。つまり、闘争・戦いを意味する。