◎「せはし(忙し)」(形シク)

「せへあし(せ重悪し)」。「せ」は「せ(瀬)」「せき(急き)」や「せり(迫り)」にある、追い立てられるような動態進行感を表現する(→「せ(瀬)」の項・5月31日)。「へ(重)」は独立した経過進行を表現し(→「へ(辺・方・重)」の項)、「ふたへ(二重)」「みへ(三重)」「いくへ(幾重)」といった表現により、複数の動態印象をともなう。そうした「せ」の「へ(重)」が「あし(悪し)」とは、追い立てられるような動態進行が次々と重なり倦むような思いであること。意味は「せはしなし」に似ている。

「せはせはし」というシク活用形容詞もある。これは「せはし」の「せは」が「さわさわ」や「そはそは」などの擬態のように扱われることにより生じた語。

「よこめの云事を聞入て、むさとせはしくあらばなきにおとるべし」(『翁問答』:「よこめ」は横から見ている者であり、監視というか、監察というか、世の中の各所をいろいろと見て、情報などもあつめ、権力部に報告したり告発したりする人)。

「岩間(いはま)ゆく いさら小河(をがは)の せはしきに われてやどれる 有明の月」(『永久百首』:「いさら」は、川としての存在感の希薄な水の流れ)。

「『されば其聟殿方もよくよくせはしければこそ、芝居竝(なみ)の利銀にて何程でも借らるるなり。この利をかきて芝居の外何商売して胸算用が合ふと思召すぞ』」(「浮世草子」『世間胸算用』:この「せはし」は、経済的な事情により生活がゆとりのない状態になっている、の意。「芝居竝(なみ)の利銀」とは、それを返済できるだけの経済力実態のない、いくらでも返済できるかのような虚構の力による利息つき借金、ということでしょう。「利をかき」の「かき」は、「恥をかき」などのそれであり(→「かき(書き、その他)」の項)、現象を、印象を、表すことを意味し、「この利をかきて」は、これだけの利息負担を負うことに、世間的にそうした印象になることに、ということ。つまり、あいつは豊かな経済力があるかのような芝居をして金を借りまくっている、豊かな経済力があるかのような芝居をして金を借りその金で芝居し金を借り、それで生活をしのぎ過ごしている、ということ)。

 

◎「せはしなし(忙し)」(形ク)

「せはしいになし(「せはし」去に無し)」。「せはし」という状態がどこかへ行ってしまってなくなってしまうことがない、の意。つまり「せはしい」ということ。「せはし」に関してはその項。

「『申(まう)し申(まう)し、早う通らせられいと申しまする(主人が、早くおはいりください、と言っています)』『扨々(さてさて)せわしない。追附(おっつけ)參るとおしやれ』」(「狂言」『ふたりばかま』:「申(まう)し申(まう)し」は、後世では「もしもし」になる呼びかけの言葉) 。