◎「せっぱ(切端)」
「セッは(接刃)」。(刀の)刃に接する状態になること。事態が、身が切れるぞという、限界的に差し迫った状態になること。(厳しく)談判することも意味する。
「生(いき)る死ぬるのせつはぞと、心も臆(おく)れ手も悸(ふる)ひ」(「浄瑠璃」『雪女五枚羽子板』)。
「『この上(うへ)は村々が寄り合うて』『一騎千騎切端する』」(「歌舞伎」『高麗大和皇(くもゐの)白浪』:談判する)。
「せっぱつまる」(事態の進展が限界的にさしせまり、事態処理においてすることがなくなる。どうしようもなくなる)。
◎「せっぱ(切羽)」
「そへは(添へ端)」。これが、そへっぱ、のような音を経、せっぱ、になった。刀身に添える断片状のもの、の意。刀の鍔(つば)の中央に、刀身との間に差し込み両者の関係を固定するため、つける金具。
「切羽 セツハ 刀之飾也」(『雑字類書』(文明本節用集))。
「せっぱつまる」はこの「せっぱ」だという説もある。これが詰まると刀が抜き差しならなくなるからだという。
◎「せつろし」(形シク)
「セツラウゆゆし(切労由々し)」。「せつ(切)」は「せち(切)」の項(意味は、情動的に切迫すること)。「労(勞)」は『説文』に「劇也」や「用力者勞」とされる字ですが、音(オン)は「ラウ」「ロウ」。「セツラウゆゆし(切労由々し)→せつろし」は、逼迫・切迫した労が深刻、ということ。どういう場合にそうなるかというと、せねばならないこと、や、やれとせまられること(ときには、一種ではなく、さまざまなこと)に追われ余裕のない事態になること。「せつろうし」とも書き、「せつらし」「せつらうし」とも書く。「ろ」か「ら」かは「労」の音の影響によるもの。漢字では「節臘し」と書くこともある。「臘(ラフ)」は年末の祭礼であり、ようするに、年末のせわしなさが表現されたということか。
「いかなればつとめとてかくせつろしき世渡り。かやうなるときは山衆のこころもうちやうてん」(『茶屋諸分調方記』:「山衆・山州(やましゅ・やましう)」は遊女。原意としては遊女を意味する「をやま・おやま」が発展した表現でしょう)。
「節臘敷 セツロウシ」(『続無名抄』下・世話字尽)。
「二ケ月分の家賃(やちん)滞(とどこほり)けるを、家守(やもり)の八兵衛が節臘敷(せつらうしく)せがむに、是非(ぜひ)なくて三寸四方の箱を一つ持参し」(「浮世草子」『好色万金丹』)。
「『奥からはお前方を呼んで来いと、えらはんこぢやぞえ。ちやつと往きちやつと往き』『あれ又おかん殿までせつらしい。わしらも最前から弾き通して』」(「歌舞伎」『隅田川続俤(―ごにちのおもかげ)』:「はんこ」は怒っていること。「ハンコ(半虎)」ということか)。