◎「せし(為し)」(動詞)
「し(為)」の尊敬表現。なさる、ということ。「し(為)」がE音化(情況化)して尊敬の助動詞の「し」がついている(※)。さらにその語尾がA音化し「せ」がつく「せさせ」という尊敬表現もある。さらにそれに「たまふ(給ふ)」がつくと「せさせたまふ」。
※ 活用語尾がA音化・情況化し、それを「し(為)」と表現することにより表現は間接的となり、その表現の間接性が遠慮や敬いの表現となりますが、動詞「し(為)」はA音化し「さ」になった場合、あまりにも動態保存性が喪失し、妥協的にE音になる(→「き(着)」や「めし(召し)」の項)。
「…やすみしし 我が大君 神ながら 神さびせす(世須)と…」(万38)。
「国見(くにみ)しせして(之勢志氐)…」(万4254:「しせして(之勢志氐)」は動詞「し(為)」に動詞「し(為)」の尊敬表現「せし(為し)」がついている。尊敬表現はその主体の動態を直接に言語表現しない表現の間接性がその本質ですが、この万4254の場合、古代でもあり、その主体が天孫であることによりこうした表現になりますが、一般にはこれは過剰なものであり、通常の表現は、国見して。国見し、をさらに尊敬表現化するとしても、動詞「し(為)」を重ねたりせず、国見したまひて、といった表現になっていく)。
◎「せし(狭し)」(形ク)
障害感を表現する「せ」です→「せき(塞き)」の項。障害感を感じる情況の表明。動的に自由感がなく、空間的に狭かったり障害物が多かったりする。
「御勢ひまさりて、かかる御住まひも所狭ければ、三条殿に渡りたまひぬ」(『源氏物語』)。