◎「せきだ(席駄)」
「セキダ(石打)」。裏底に堅い革、さらには鉄板、を貼り付けた草履。石を打ち砕くような印象で(音をたて)歩く。それゆえ「石を打つ→石打」。この言葉は「せった(雪駄)」になる。
「はゞのひろき帯うしろにむすび………席駄(せきだ)をならして出たちける有さま…」(「仮名草子」『浮世物語』)。
「雪踏 セツダ セキダ 傳云天正年中ニ利休初作之 以便雪中踏路地」(『書言字考節用集』:「路地」は茶室に付属する庭のこと。通常は「露地」と書く。「露地」は仏教語で煩悩を離れた界のこと)。
◎「せこい」(形)
「せこ」は「セイこ(精小)」。「精(セイ:漢音)」は雑物が混じらず澄みきったものやことを意味しますが、この語は、「精励(セイレイ)」、「(仕事に)精を出す(雑用たる思いにとらわれず仕事に打ち込む)」、「精一杯努力する」といった表現の影響により、なにごとかに心を打ち込んで、雑事なく澄みきって、努力することも意味する。「『牛若(うしわか:源義経の幼名)学問のせいはよく候ふとも、里につねにありなんとし候はば、こころも不用になり、学問をも怠りなんず…』」(『義経記』)。あるものやことに、それを現実化させた、それに打ち込まれた、「せい(精)」が、一般の期待と相対的に「こ(小)」であるという印象を、量的にであれ質的・価値的・意味的にであれ、「ちいさい」という印象を、受けること。それが「セイこ(精小)→せこ」。「いやしき物をせことなづく」(『名語記』)。それを語幹とした形容詞が「せこい」。意味は、「粗末(ソマツ)」に似ている。たとえば、木で箱をひとつ作ったとして、十分な厚さの丁寧に製材された木で組み方もしっかりとし仕上がりが不安定に動揺したりしない堅固なものではなく、適当に目測ではかられ適当に切られた材を適当な釘で適当な箇所を仮止めのようにとめただけの、仕上がりも安定せず内容物がもれそうなものである場合、その箱、それを現実化した努力・仕事、は「せこい」。方言には、息苦しい、を意味する「せこい」もある。現実化する呼吸努力に、完全さの乏しい、質的な粗末さが感じられること。
「『巧いね。是ぢや、喜代壽の三糸でも決して拙(せこ)が無いね』と師匠らしいのが熱心に舞臺を視詰めて云つた」(『初すがた』(小杉天外・1900年):この「せこ」という語はもともとは、幕末から明治期ころの、役者や寄席芸人関係の語であるらしい。『初すがた』のこの部分は「拙(セコ)か無い」になっている出版物もある)。
◎「せこめ」(動詞)
「せきこめ(急き込め)」。動態勢力が昂進し追い詰めるような凝縮感・凝固感を生じさせること。責める、や、いじめる、のような意味で言われる。
「皆是(みなこれ)、昔地主の威をふるうて店衆をせこめし報いの罪科」(「談義本」『教訓雑長持』)。