S音の動感とE音の外渉感により他への働きかけ感のある動感が表現される。項目は「せ」「させ」の下二段活用で書かれていますが、現実社会の言語表現では(使役表現で)「し」の四段活用も混じっています。すなわち「匂はせ」「習はせ」ではなく「匂はし」「習はし」という表現による使役表現。平安時代から一貫してそうです(つまり「取らせ」でも「取らし」でも使役表現は可能だということです。ただ、「取らせ」の方がE音の外渉感が働きかけられ、使役表現は明瞭になる)。

尊敬を表現する助動詞には奈良時代以前から四段活用の「~し」がある(「とり(取り)」→「とらし(取らし」)。また、使役の助動詞としてほかに「~しめ」が言われますが、厳密にはこれは使役を表現しているわけではない→「しめ(助動)」の項(1月5日)。

ここでは項目は「せ」「させ」と書かれていますが(「させ」は別項)、一般の辞書での項目は「(古文系辞書の場合)す」あるいは「(口語系辞書の場合)せる」(どちらも四段活用動詞につく場合)、「(古文系辞書の場合)さす」あるいは「(口語系辞書の場合)させる」(どちらも下二段活用動詞につく場合)、になっている。つまり、ここでは「せ」「させ」、口語系辞書では「せる」「させる」、古文系辞書では「す」「さす」ということです。日本語の辞書の項目は、動詞などは、終止形を項目にすることが慣行になっている。ここでは連用形が項目になっている。その方が動詞の活用がわかりやすいからです。

 

使役表現の「せ」:語尾がA音化した動詞に「~せ」がつき使役が表現される(下二段活用動詞の場合、活用語尾E音に「~させ」がつく→「変へさせ」)。使役表現は、たとえば「取らせ」のように、動詞(「取り」)の語尾のA音化・情況化・それによる動態の普遍化、と、「せ」のS音E音によるそれへの動的外渉感(他への働きかけ感)の発生、によって成立する。つまり、動態を情況化し、それにS音の外渉的動感を影響させる。情況化した動態を対象に働きかけ対象にその動態を起こそうとする。→「(子を)女にあづけて養(やしな)はす(養うことをさせる)」。

ちなみに、使役表現とは、客観的な対象を動態の主体として、その主体になにかをさせる表現です。これも他への働きかけであり、他動表現のひとつのあり方。

 

尊敬・謙譲表現の「せ」:「松浦河(まつらがは)河の瀬光り鮎釣ると立たせる妹(いも)が裳(も)の裾(すそ)濡れぬ」(万855:この「~せる」は、使役ではなく、尊敬。使役して立たせたわけではない)といった表現もありますが、この「~せ」は主に尊敬や謙譲を表現する動詞の下につき、尊敬や謙譲がより厚く表現される→「給はせ」「参らせ」(この表現は使役ではない)。この「せ」は下二段活用動詞の「褪せ」「失せ」「走(は)せ」などのそれと同じように、((尊敬・謙譲表現の「せ」の場合は)A音化により情況化した動態の)動態経過を表現する。活用語尾E音による自動的客観的動態表現です(他動表現ではない)。情況の動態として表現するその表現の間接性が遠慮感→敬い表現・謙譲表現になり、その表現の間接化が(たとえば「たまひ(給ひ)」や「まゐり(参り)」などの)敬いや謙譲を表現する動詞になされ、敬いや謙譲を表現する動態が客観化され、表現はより間接的となり、より厚い敬いや謙譲を表現する。

一般の動詞の語尾がA音化し「せ」がつき、さらに尊敬を表現する動詞、「たまひ(給ひ)」「おはしまし」「ましまし」「られ」など、が続き厚く尊敬が表現されることがある―「夜の御殿(おとど)に入らせ給ひて」は、誰かを入らせたのではなく、自分で入った(お入りになった)。ただし、「入(はい)らせた(お入れになられた)」という(自分に対する)使役で尊敬という意味の「入らせ給ひ」という表現もある。しかし、この「せ」は使役を表現しているわけではない。これも語尾A音により情況化した動態の動態経過を表現する。すなわち、使役表現によって尊敬表現が生じているわけでも、尊敬表現によって使役表現が生じているわけでも、ない。動態を客観的に情況化し、これに動感を生じさせる表現が一方では表現の間接性により尊敬表現となり、他方では情況から働きかけられる使役表現となる。

 

「させ(助動)」(下二段活用動詞などの場合「~させ」がつく)も参照(2022年7月2日)。