◎「せ(背)」

「すへ(為経)」。為(す)を経(へ)ている(経過している)こと。これは人の身体が原意となっており、人の動向は目で見ている方向(すなわち「まへ(前)」)へ向かう印象があり、その動態が「す(為)」であり、その「す(為)」を経過した身体部分とは、経過し見えなくなっている環境世界を経験している身体部分であり、それは目のある側とは反対側の身体部分になる。すなわち身体後部。特に胴後部。腰より上、首より下。腕や足は相当に自由運動し、首から上は身体が静止固定したまま回転し反対側の身体部分の印象はなくなる。

「乃(すなは)ち良(よ)き駒(こま)を見(み)つ……影(かげ)を睨(み)て高(たか)く鳴(いば)ゆ。輕(かろ)く母(おも)の脊(せ)を超(こ)ゆ」(『日本書紀』)。

「背 ………脊 和名世奈加 背也」(『和名類聚鈔』)。

 

◎「せ(瀬)」

「せ」は、S音の動感とE音の外渉感により外渉的(他へ、環境へ、働きかける。それゆえに勢いのある)動感が、動態の進行感の高まりを、動態勢力昂進を、表現する。「せ(瀬)」は川の流れに勢いの増感が感じられる部分、そうした川の域。水流が滞留せず、ある程度の勢いをもって流れている域です。「瀬(せ)をはやみ岩にせかるる滝川の…」(『詞花集(シイクヮシフ)』)。また、進行する情況、流れて行く情況に勢いの増感、期待や思いが凝縮して高まるような情況的勢い感、特別な情況感がある場合、その情況も「せ」と表現される。「逢瀬(あふせ:会ふ瀬):これは慣用的に発音は「おほせ」のようになる」。「憂きにもうれしきせはまじり侍る」(『源氏物語』)。「としのせ(年の瀬)」は押し迫った急迫感によるもの。

「松浦川(まつらがは)川の瀬(せ:世)光り鮎(あゆ)釣ると立たせる妹が裳(も)の裾濡れぬ」(万855)。

「爾(ここに)伊邪那岐命(いざなきのみこと)、其(そ)の桃子(もものみ)に告(の)りたまひしく。「汝(なれ)、吾(あれ)を助(たす)けしが如(ごと)く、葦原中國(あしはらのなかつくに)に有(あ)らゆる宇都志伎(うつしき) 此四字以音 青人草(あをひとくさ)の苦(くる)しき瀬(せ)に落(お)ちて患(うれ)ひ惚(なや)む時(とき)、可助(たす)くべし」と告(の)りて、名(な)を賜(たま)ひて、意富加牟豆美命(おほかむづののみこと)と號(い)ひき 自意至美以音」(『古事記』)。

「院に、思し嘆き、弔ひきこえさせたまふさま(院が思い嘆き弔いの使いをおよこしになりその(源氏の)さまは)、かへりて面立たしげなるを(悲嘆の思いに反し死者にとっても誇らしいことだが)、(それによる)うれしき瀬もまじりて、大臣は御涙のいとまなし」(『源氏物語』)。