◎「すゑ(末)」

「しひゆふえ(廃ひゆ増え)」。「ゆ」は助詞。「しひ(廃ひ)」は無機能化していくことですが、「しひゆふえ(廃ひゆ増え)→すゑ」、すなわち、無機能化を経過しつつ増える、とは、どういうことかというと、細くなり、物的に不存在化していくようでありながら増(ふ)えるもの(ものの部分)・こと、ということです。つまり、形象印象としては、消滅へ向かうように細くなりつつ成長進行していく。これは樹木の末端部分の印象による表現。その部分は細くなっていき消えていくようでありながら増えていく。進行するものやことの、進行最先端状態たる最末端を意味する。

「本(もと)剣(つるぎ)末(すゑ)増(ふ)ゆ増(ふ)ゆ」(『古事記』歌謡48(※下記))。

「秋風の末(すゑ:須恵)吹き靡く萩の花ともにかざさず相か別れむ」(万4515)。

「むさしのやゆけとも秋のはてそなきいかなる風かすゑに吹くらむ」(『新古今和歌集』)。

「大太刀を垂れ佩(は)き立ちて抜かずとも末(すゑ:須衞)果たしても会はむとぞ思ふ」(『日本書紀』歌謡89:果たし、は、果てた、すべて経過し終わった、状態になることであり、太刀をぬかなくても、末を、行く最末端を、経過し終えても(死んでも)私はあの人に会う(太刀を抜きお前を殺せばもっと簡単に会える)ということであり、相手を威嚇している)。

「いくすえ(行く末:未来)」。「よもすえ(世も終わり)」。「つきずえ(月末)」。「すえっこ(兄弟姉妹のなかで最も年下の子)」。

※ 「本牟多能 比能美古 意富佐邪岐 意富佐邪岐 波加勢流多知 母登都流藝 須惠布由 布由紀能須 加良賀志多紀能 佐夜佐夜」(『古事記』応神天皇・歌謡48)。この歌は「品陀(ほむた)の 日(ひ)の御子(みこ) 大雀(おほさざき)  大雀(おほさざき) 佩(は)かせる太刀(たち) 本(もと)剣(つるぎ) 末(すゑ)増(ふ)ゆ増(ふ)ゆ 木(き)の透(す)き腹(はら)が下(した) 木(き)の鞘(さや)鞘(さや)」ということでしょう。「紀能須加良賀志多(きのすからがした)」が「木(き)の透(す)き腹(はら)が下(した)」だということ。太刀の鞘(さや)に装飾的浮彫(レリーフ)が施されているわけです。その太刀の見事さをほめた。ただし、一般にはこうは読まれていない。参考までに、一般にある「母登都流藝(もとつるぎ)」以下の読みの一例を記せば、「本(もと)つるぎ 末(すゑ)ふゆ 冬木(ふゆき)如(の)す からが下樹(したき)の さやさや」。

 

◎「すゑ(陶)」

「すゑ(据ゑ)」て作るもの、の意。陶器を意味する。

「陶 …スエ物…スヘ」(『類聚名義抄』)。