この「す」は物と物との擦過音に由来する擬態。その「す」の情況が進行することが「すり(擦り・刷り)」。物と物とが弱い摩擦抵抗を生じつつ、触れつつ異方向へ進行する(「擦り」)。Aに付着する塗料をBへ転写する「すり(刷り)」は、「する(擦る)」ことにより塗料が付着することによるもの。たとえばある種の花を他へ(衣などへ)こすりつけたことに由来する。「博打(ばくち)で金をする」(金を失う)は、研磨で物がすり(磨り)へり失われることに由来する。紙に書かれた文字を削り消すことを「すり」と言ったりもする。

何かを盗み取ることも「する」と言いますが、これは「すられた」(失うことをされた)という受身表現に由来するものでしょう。他者をそういう状態にすることが「する(掏る)」なわけです。

自動表現は「すれ(擦れ)」。

「中将……ものも言はず、ただいみじう怒れるけしきにもてなして、太刀を引き抜けば、女、『あが君、あが君』と、向ひて手をするに…」(『源氏物語』)。

「つき草に衣(ころも)ぞ染(し)むる君がため綵色衣(あやいろごろも)摺(す)らむと思ひて」 (万1255:「綵色衣」は、しみいろごろも、や、まだらのころも、と読まれますが、字を素直に読めば、あやいろごろも、でしょう。色彩のある美しい模様の衣です。「つきくさ」は、突き草、であり。布を当て、叩いて色をうつす草。別名、ツユクサ)。

「三の鴿の雛を得つるを、一は鷹の為に奪(スラ)れぬ、二は驚怖することを被れり」(『金光明最勝王経』巻十・捨身品第二十六:「鴿(カフ)」はハト)。

「…たまきはる 命絶えぬれ 立ちをどり 足すり(須里)叫び 伏し仰ぎ 武禰宇知奈氣古手爾持流安我古登波之都世間之道」(万904:歌の最後の四句は、原文(西本願寺本)の(最初の)「古」を「吉(き)」に、「波」を「婆(ば)」に書き変えつつ、「むねうちなげき(胸打ち嘆き) てにもてる(手に持てる) あがことばしつ(吾が子飛ばしつ) よのなかのみち(世の中の道)」、と読むことが一般になっている。現在の出版物もネットも一般にそうなっている。しかし、これは原文のまま 「むねうちなげ(胸打ち投げ) こてにもてる(小手に持てる) あがことはしつ(吾が子問はしつ) よのなかのみち(世の中の道)」 でしょう。「むねうちなげ(胸打ち投げ)」は全身全霊を打ち投げたようになっている。「こてにもてる(小手に持てる)」は、「小手(こて)」は、小手(こて)をかざして、などのそれではなく、小さな手の状態で維持している、の意。小さな手、は、自分の手ではなく、幼くして死んだ我が子の手です。それが「古」と書かれるのは子の名が「古日」だから(この歌の前書きにそう書かれる)。小さな手の状態で維持している、とは、子を、魂の世に行かず、この世にひきとどめようと、その小さな手を握り続けているのです。その我が子を「とはし(問はし)」た、世の中の、現実のこの世の、道に…。「とはし(問はし)」は「とひ(問ひ)」の使役形他動表現。動詞として一般化はしていないが、ありうる表現です。この「とひ(問ひ)」は探し求めること。つまり、どこかへ行ってしまわぬようその小さな手をしっかりと握りしめていたその子を、ふとあるとき、現実の世の道に、どこにいるのだと探した、そうしたかったわけではなく、そうされた。しっかりと手を握りしめていたのに、どこかへ行ってしまった…。そういうことです)。