◎「すめかみ(皇神)」
「すめ」は「すめら」(その項)の「ら」が情況を表現しているかのように受け取られ語頭「すめ」の二音でその「すめら」の貴い存在性を表したもの。そうした「すめら」であるところの「かみ(神)」。
「吾が大君(おほきみ)ものな思ほしすめかみ(須賣神)の嗣(つ)ぎて賜へる吾(われ)なけなくに」(万77)。
この「すめ」による「すめみこ(すめ御子)」、「すめみおや(すめ御親)」(「おや」は、先祖、皇祖)、「すめみまご(すめ御孫)」といった表現もある。いずれも「すめ」は尊称のようにつけられている。
「すべかみ」「すべみおや」「すべみまご」といった語もあり、「すめ~」と同じ意味なのですが、この語変化は「統(す)べ」も影響しているのでしょう。
・「すみいへかみ(住み家神)→すめかみ」、という意味の「すめかみ」もある。これは自分が住んでいる地元の神。
「…山科(やましな)の 石田(いはた)の杜(もり)の すめかみ(須馬神)に 幣(ぬさ)取り向けて 吾(われ)は越え往(い)く…」(万3236)。
◎「すめみま(皇御孫)」
「すめみま(すめ見真)」。「すめ」は「すめかみ(皇神)」のそれに同じ。「すめ」たる見(み)る「ま(真)」、ということなのですが、見ていることはそれが抗(あらが)い得ない現実であることを表現し、「ま(真)」はそれが全的に容認されるなにごとか・なにものかであることを表現する。すなわち、「すめみま(すめ見真)」は「すめ」たる現実なる全的に容認されるそれ。この語は降臨した天孫、すなわちホニニギノミコト、そしてその子孫、すなわち天皇(すめろき)、を意味する。それは現実として見る「すめら」だということです(→「すめら」の項)。「すめら」を現実に、ありありと見るそれ、のような意。この「みま」は、漢字表記で「すめみま」が「皇孫」と書かれることもあり、「みまご(御孫)」の略とされることが一般です。降臨したのは天孫だから、ということでもあるのですが、この語は天皇一般も意味し、「まご(孫)」を「ま」と略すのも不自然に思われます。
「遂(つひ)に皇孫(すめみま)天津彥彥火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を立(た)てて、葦原中國(あしはらのなかつくに)の主(きみ)に爲(せ)むと欲(おもほ)す」(『日本書紀』)。
「古老曰、珠賣美万(スメミマノ)命自天降時…」(『常陸風土記』)。
「SUMEMIMA スメミマ 皇孫 n. The grandson of Amaterasu-omikami, and then applied to the Emperor(天照大神の孫、そして天皇に用いられる)」(『改正増補 和英英和語林集成』)。
◎「すめむつ (皇睦)」
「すめ」は「すめかみ(皇神)」のそれに同じ。「むつ(睦)」はその項参照。「かむろき」「かむろみ」(その項)を形容する。
「すめむつかむろき・かむろみ」。