◎「すみ(澄み・済み)」(動詞)
「しひふみ(強ひ踏み)」。「しひ(強ひ)」を「ふみ(踏み)」ということであり、「ふみ(踏み・践み)」は経験経過すること、実践することですが、この「しひ(強ひ)」は、強制する、という意味ではなく、自然や宇宙の摂理のようなこと、それゆえに抵抗不能な動態、が作用することを意味する→「し(助)」「しひ(強ひ)」の項。その実践経過に入る、とは、それが自然の摂理としてそうあらざるをえない、それのそれとしてあるあり方になること。それがそれとしてあるはずの状態になること。たとえば「水がすむ」場合、水を水たらしめていないもの、その夾雑物、雑物、汚物が消え、なくなり、水は水としてある状態になる。こと(事)がこととしてある状態になったとき、ことは「すむ(済む)」。他動表現「すめ(澄め・済め)」、使役型他動表現「すまし澄まし・済まし)」もある。
・ものがそうなる場合、そのものがそれでなくなる異物たる雑物はなくなりますが、多く言われるのは、水その他の液体、空気、であり、「すんだ月(つき:天体)」や「月が澄む」も言われる。
・身体の場合、その機能を阻害する異物たる雑物はない。「すんだ目」。心(こころ)の場合、「心がすむ」や「すんだ心」はありますが、「気(キ)」は、できごとと同じように、それがすむことは、済む、であり、(心情的な)完成になり、完成は満足になる。完成がなれば「気がすんだ」。すまないことを認めた場合、非を認めた効果、謝罪の効果を果たす。「すまない。許してくれ」。
・ことなら、それがそれとしてあるあり方になることはことの完成を意味し、ことの完成はことの終わりにもなる。この場合は漢字では「済む」と書かれることが多い。「暮るゝ程には、立て竝(なら)べつる車ども、所なく竝(な)みゐつる人も、いづかたへか行きつらむ、程なく稀になりて、車どものらうがはしさ(乱がはしさ)もすみぬれば…」(『徒然草』:賀茂の葵祭の行列はおわり、見物の人々もいなくなっていき騒ぎもおわる)。
「家も澄(すみ)て、人も無かりければ…」(『今昔物語』:この「家も澄(すみ)て」は、家の汚れがなくなったりしたわけではなく、「家(いへ)」というものごとがすんだ、おわった、状態になったということであり、そこで誰かが生活している人気(ひとけ)がなくなった)。
「十七日は中の酉(とり)なれども、賀茂の御生所(みあれ)もなければ、一条大路人すみて、車を争ふ所もなし。」(『太平記』:これも、大路に人気(ひとけ)がない)。
「中の君(次女)も、うちすかひて(それ(長女)をうけつぐように)、あてになまめかしう(品がありおくゆかしく)、すみたるさまはまさりて」(『源氏物語』:この「すみ」は人としての完成感がある。これが他動表現で「すまし」になると意図的な煩わしさが感じられるようになる。「なまめかし」はその項)。
「すめる世の、おきてただしく、畿内近国に追手かかり」(「浄瑠璃」『冥途の飛脚』:世(よ)もものごとであるが、これは、完成した世、や、おわった世、ではなく、世を世としない汚れや雑物のない世、悪事や人間的社会的な汚れのない世)。
◎「すめ(澄め・済め)」(動詞)
「すみ(澄み・済み)」の他動表現。それがそれとしてあるはずの状態にすること(「すみ(澄み・済み)」の項参照)。
「すみ(澄み・済み)」(「しひ(強ひ)」を「ふみ(踏み)」)の他動表現は使役型のそれとなり、客観的対象にかんするそれはほとんどが「すまし(澄まし・済まし)」になる。「すみ(澄み)」の系列のそれとしては稀に心(こころ)や理(リ)にかんするそれ、すなわち自分の内的な動態が言われ、客観的事象に関しては「すみ(済み)」の系列の「すめ(済め)」が多少言われ、その場合も動態を客観的情況として表現する「る」がついて「すめる」になったりもする。「すめぬこと(気の済まぬこと)」といった客観的対象の自動表現の「すめ」もある。
「Sume(スメ),uru(ムル),eta(メタ). Concluir,ou aueriguar(結論する、または検証する).Vi.Sanyouo sumuru(サンヨウヲ(算用を) スメル). Concluir as contas pagar do tudo,& (すべての買掛金を完了するなど). ¶ Riuo sumuru(リ(理)ヲ スメル). Aclarar,ou manifestar a razao(理由を明確にする、または明らかにする)」(『日葡辞書』)。
◎「すみ(住み)」(動詞)
「すふみ(巣踏み)」。「す(巣)」はその項参照。「すふみ(巣踏み)→すみ」は、巣(す)を、生活施設を、経験経過すること。実践すること。「す(巣)」を形成し維持すること。なにがしかの施設により独立化した特定域で生活すること。その生活態はその施設によりある程度の時空的恒存性をもつ。
「雨隠(あまごも)り物思ふ時にほととぎす我が住む(すむ:須武)里(さと)に来鳴き響(とよ)もす」(万3782:人がすむ)。
「鷲(わし)のすむ(住)筑波の山の…」(万1759:鳥がすむ)。
「よの人々、あべの大臣火ねずみの皮ぎぬもていまして。かぐや姬にすみ給ふとな。こゝにやいます、などとふ」(『竹取物語』:「かぐや姫にすむ」は後世的には奇妙な言い方ですが、古く、男が女のもとに通い、夜を過ごしたりする安定的関係になることが社会的に婚姻関係にあるような評価になることがあり、そうした関係にある場合、男が女を巣にする、のような意味で、(女たる)Aにすむ、という言い方がなされた。「なりひらの朝臣、きのありつねがむすめにすみけるを…」(『古今和歌集』歌番783詞書))。