◎「すみ(炭・墨)」
「すすふみ(煤踏み)」。「ふ」のH音は退行化した。「ふみ(踏み・践み)」は経験経過すること、実践すること(その項)。「すすふみ(煤踏み)→すみ」は、「すす(煤)」を経験経過したもの、という意味ですが、煤(すす)になったもの、ということです。後世的な言い方をすれば、炭化したもの、ということ。これは、山火事や焚火などで燃え残った、炭化し黒くなった木をいうことが原意でしょう。これは木を蒸し焼きにして人工的につくり、燃料にする。この焼け残りはさらに燃焼するということが経験的に知られたわけです。そしてそれは虫に食われたり腐ったりしてなくなることもない。その粉末を膠(にかは)などで固めた固体も印象の酷似から「すみ(墨)」と言い、これを水で溶いて文字その他の筆書きに使用したりする。筆などにつけ、その筆記痕跡を何らかの物体に残すわけです。
「墨坂(すみさか)に焃炭(おこしずみ)置(お)けり。……墨坂(すみさか)の號(な)は、此(これ)に由(よ)りて起(おこ)れり」(『日本書紀』)。
「炭 ………和名須美 樹木以火焼之…」(『和名類聚鈔』)。
「吾(わ)が耳(みみ)は御墨(みすみ)の坩(つぼ)」(万3885:これは鹿の身になっている歌)。
「墨 ………和名須美 以松烟和膠合成也」(『和名類聚鈔』)。
◎「すみ(隅)」
「すひゆみ(吸ひゆ見)」。「ゆ」は助詞。吸ひを経過して見る情況のもの。吸ひを経過して見るとは、視覚印象が一点へ吸われているように見ること。そのように見る印象部分。これが、平面限定域内部から見た、域の、域外との、限界部分、とりわけ、平面四角に建てられた建造物床の周囲四つの角の極限域部分、を意味する。「よすみ(四隅)」。方角を一点限定的に表現する場合も「すみ」と言ったりする。「雷 西南(ひつじさる)の角(スミ)に鳴り」(『日本書紀』)。
「大宮(おほみや)のをとつはたで隅(すみ:須美)傾(かたぶ)けり」(『古事記』歌謡:「をとつはたで」はその項(「~のをとつはたで」は、~は古臭くなり、のような意))。
「碁盤のすみに石を立ててはじくに、むかひなる石をまぼりてはじくは当らず」(『徒然草』:「まぼり」はなにかを目をはなさず見つめること)。