◎「すまひ(拒ひ)」(動詞)
「すみはひ(澄み這ひ)」。「すみ(澄み)」の情況動態になること。「すみ(澄み)」はそれがそれであるはずの状態になることを意味しますが(→「すみ(澄み)」の項)、「すみはひ(澄み這ひ)」、すなわち、その「それがそれであるはずの状態」になる情況動態になる、とは、それをそれではない状態にしようとする、それがそれである状態を破壊しようとする、力がはたらいているからであり、それを破壊したり喪失させたりする力を受けそうなる。それに対し「それがそれであるはずの状態」になる情況動態になる、とは、その力に抵抗し自己を維持しようとすることです。
「人の犬を引きたるに、犬すまひて、行かじとしたる」(『古今著聞集』)。
◎「すまひ(相撲ひ)」(動詞)
「すみあひ(澄み合ひ)」。「すみ(澄み)」はそれがそれであるはずの状態になることを意味しますが。「すみあひ(澄み合ひ)」は、お互いにそれをし合う。双方が相手の「それがそれであるはずの状態」を破壊しようとし双方が自己の「それがそれであるはずの状態」を維持しようとする。つまり、双方が、相手が加えてくる自分を破壊しあるいは喪失させようとする力に対し自己を維持しようとすること。それが「すみあひ(澄み合ひ)→すまひ(相撲ひ)」。これは二人で行う体力勝負事やそれをすることを意味する。これは資料的には名詞の例しかないようですが、古くは動詞もあったでしょう。この勝負では、相手を負かした者ではなく、「澄(す)んだ者」、自己を維持した者、が勝つ。闘争ですから、破滅的なことも起こる。『日本書紀』垂仁天皇七年にある野見宿禰(のみのすくね)と當摩蹶速(たぎまのくゑはや)の「争力(ちからくらべ)」(古くはこうも言った)では一方が他方を踏み殺している。
「相撲 ……角捔………和名須末比…下伎也」(『和名類聚鈔』)。
「當摩蹶速と野見宿禰と捔力(すまひと)らしむ」(『日本書紀』)。
◎「すまふ(相撲)」
「すまへゐ(相撲へ居)」。「すまへ(相撲へ)」は「すまひ(相撲ひ)」(その項)の他動表現((自己努力ではなく)他への努力を表現したもの。他に対し「すみ」をすること)。要するに「すまひ(相撲ひ)」の状態になっていること・人ですが、これが、伝統的にそう呼ばれた体力勝負事たる競技の名になる。「すまう」とも書かれる。
「すまう ことりつかひ(部領使)と申候内裏の節会なり」(『至宝抄』:「ことり(部領)」は「こととり(事取り)」であり、事(こと)を取り扱うこと。古くは、現地へ行き防人を集め、これを率い、派遣先まで送る責任者なども「ことりづかひ」と言われた。「ことり」のための使いになる人、ということ。ここでは相撲の大会を実現するためのそれが「ことりづかひ」と言われ、それによりなされる競技会も、ことりづかひによること、という意味で、「ことりづかひ」と言われている)。
◎「すまひ(住まひ)」(動詞)
「すみはひ(住み這ひ)」。「すみ(住み)」はその項参照。「~はひ(~這ひ)」は「~」の動態が環境情況化することであり、「すみはひ(住み這ひ→すまひ」は住むことが時空において一般化する。住(す)む情況になる。住む情況になるとは、住んで空間的・時間的に全体的・一般的な感覚状況になることです。「すみ(住み)」は、暮らしたり生活したりすることが一般ですが、芝居では、役者が舞台上のある場所でその芝居になじんだ状態でいることもそういうことがある。住んでいるその建造物が「すまひ」と言われることもある。
「天離(あまざか)る鄙(ひな)に五年(いつとせ)住まひつつ(周麻比都都)京(みやこ)のてぶり忘らえにけり」(万880)。
「すまひたまへるさま、いはむかたなくから(唐)めいたり」(『源氏物語』)。
「どちらにおすまひですか?」。