(昨日の「すなはち(即ち)」の語源(1)の続きです)
・「すなはちより」
「かん(かみ:督)の君(きみ:落窪の君の夫)、さすがに(中納言(落窪の君の父親)が)あはれにて、『ここにはすなはちより御夜中暁の事もしらでやと嘆き侍(はべ)りしかど、道頼(督の君が自分をそう言っている)が思ふ心侍りて暫しと制し侍りしなり。その故は、西の方に住み侍りしより時々忍びてまかりかよひ見侍りしに…』」(『落窪物語』)。この一文は「ここにはすなはちより御夜中暁の事もしらでやと嘆き侍りしかど」が問題になる。この一文は「ここには、すなはちより御夜中暁の事もしらでやと、嘆き侍りしかど」ということですが。
・「ここには」:この「ここ」の語頭の「こ」は、ものや空間のある地点を特定するのではなく、こと、いま自分がそうなっていることや、いま話題にしていることを特定強調的に指し示す。
「爾(ここ)に高天原(たかまのはら)動(とよ)みて、八百萬神(やほよろづのかみ)共(とも)に咲(わら)ひき。於是(ここ)に天照大御神(あまてらすおほみかみ)、怪(あや)しと以爲(おも)ほして、天石屋戸(あまのいはやと)を細(ほそ)めに開(ひら)きて…」(『古事記』)。
「故(かれ)、三年(みとせ)に至(いた)るまで、其(そ)の國(くに)に住(す)みたまひき。於是(ここに)火遠理命(ひをりのみこと)、其(そ)の初(はじ)めの事(こと)を思(おも)ほして、大(おほ)きなる一歎(なげき)したまひき」(『古事記』)。
・「すなはちより」:この「より」は、基本的には経験経過を表現しますが、手段や材料も表現し(「徒歩(かち)より行けば」(万3314))、起点を表現するそれ(「堀江より朝潮満ちに寄る木積(こづみ)」(万4396))は物(もの)生成の起点は材料にもなり(「大豆より精製されたタンパク質」)、ここでの材料は、ものにかんしてではなく、ことにかんして言われ、上記の一文は「すなはちより御夜中暁の事」と続き、大豆より蛋白質、のように、「すなはちより御夜中暁の事」、すなわち、「御夜中暁の事」の材料は「すなはち」、とは、「御夜中暁の事」は「すなはち」そのものなのだ、ということであり、御夜中暁の事はすなはちというもの、と言っており、「夜中暁」は「夜中暁ともなく」「夜中暁といはず」といった言い方がなされ、時間限定などなく、常に、という意味ですが(後世風に言えば、日夜(にちや))、「御夜中暁の事」は、夜中暁もあること、なくなったりしない、常のこと、あたりまえのこと、ということでしょう。すなわち、「すなはちより御夜中暁の事」は、(三條の邸宅が落窪の君のものだということは)常の、当たり前のことたる「すなはち」そのものなのだ、ということであり、この場合の「しうねはふあといゐ(為畝這ふ跡い居)→すなわち」の「し(為)」とはことのなり行き一般、世の中のあり方一般、であり、「すなはちより御夜中暁の事」は、ことのなり行き一般の、世の中のあり方一般のその展開としてのそのままの結果として常の、当たり前のこと、と言っている。それも知らないでいるのか?、と嘆いたのです。歎いたのは阿漕(あこぎ)や落窪の君、とりわけ阿漕(落窪の君に仕える女性)でしょう。すなわち、この一文全体は、「ここには、当たりまえのことではないか、となげいた、そういうことがあるのですが。思うところあって、しばし待てと、私が制してきました」 ということであり、そして、以下で、どうしてそうなったのか、いま起こっていることがどういうことなのか、事情が述べられていく。
「若宮はすなはちより寝殿にとほる渡殿におはしまさせて」(『栄花物語』「楚王の夢」:現代語訳なるものにおいて、この「すなはちより」は「お誕生になるや否や」とされたりもしますが、生まれると同時に子供を渡殿に移す、はことのなり行きとして奇妙でしょう。この母親(藤原道長の娘)は出産後数日で死亡したのですが、物の怪が恐れられている時代、生まれた子供を遺体のそばにおいておくわけにはいかず、かといって母親からまったく無縁にしてしまうこともせず、中途半端な渡殿に世話する女房とともにいさせた、ということでしょう。「渡殿(わたどの)」は建物と建物をつなぐ部分たる建造物です。その配慮が人や世のありかたとして当然のことということ。ほかに、昔から、と訳されている「すなはちより」もある)。