「すみてに(済みて、に)」。「すみ(澄み・済み)」はそれがそれとしてあるあり方になることですが(→「すみ(澄み・済み)」の項)、「すみてに(済みて、に)→すでに」は、済みて(済んで)、の情況で、の意。ものやこととして完結し、完結して完成感を生じ、の意。「それはすでに知られている」は、知られることが完成している。「射たる所の虎、既(すで)に虎に似たる岩にて有り」(『今昔物語』)は、その岩の、虎に似ているということが完成的に完結している。つまり、虎そのものといっていいほど虎に似ている(以前は虎に似た岩ではなかったがもうそうなっていた、という意味ではない)。

「天の下すでに(須泥爾)覆ひて降る雪の光を見れば…」(万3923:地上を完全に覆って降る雪)。

「八解脱を證し已(すで)に彼岸に至れり」(『金光明最勝王経』:完全に、完成的に、彼岸に至る)。

「『みかどおりさせ給ふと見ゆる天変ありつるが、すでになりにけりと見ゆるかな』」(『大鏡』)。

「文太げにもと思ひ、家に歸りてぜひなく女房をしかり、すでに追ひいだす」(『文正草子』:追い出だすことがもうきまったように追い出だした)。

「『かやうに名簿(みゃうぶ)におこたりぶみ(怠文:過ちを認め詫びる気持ちを表す文)をそへて出だすはすでに来たれるなり』」(『宇治拾遺物語』:降参し服従してきたのと変わらない) 。

「すでに纜(ともづな)解いて舟押し出だせば、僧都(俊寛)綱に取りつき、腰になり、脇になり、丈の立つまではひかれて出づ」(『平家物語』)。

「死の近きことを知らざること牛すでにしかなり」(『徒然草』:牛はまったく、完全にそうだ)。

この「すでに」が表現する完結感は、過去性、それはもう過去として完全に完了していること、という印象にもなる。「それはすでに決まったこと」。

「すでのこと」、「すんでのこと」、「すんでのところ」―これらはすべて、すべてものごとは完結し決着がついてしまったような、まったく切迫した情況で、という意味になる。

「SUDE(スデ)-NO(ノ)-KOTO(コト),or SUNDE(スンデ)-NO(ノ)-KOTO(コト)  スデノコト……Almost(すべて、や、完全、に最も近い状態で), nearly(非常に接近し): ―kawa(カワ) ni(ニ) hamaru(ハマル) tokoro(トコロ) de(デ) atta(アッタ), almost fell into the river(ほとんど川に落ちそうになった). Syn. MÕ(モウ) SUKOSHI(スコシ) DE(デ), HOTONDO(ホトンド)」(『改正増補 和英英和語林集成』)。

「又助『ハイ、御免なさりませ。今あの東(あづま)小路に、病犬(やまいぬ)がうしやァがつて、すんでの事に喰ひ附かうとしやしたから、どこがどう、お前さんの所へ』 小俊『駆け込みなすつたか』」(「歌舞伎」『梅柳若葉加賀染』)。

「その吊り橋は渡りきるとほぼ同時に切れた。すんでのところで死ぬところだった」。