◎「すっぱ(透波)」
「シュウのは(衆の端)」。これが「の」が無音化しつつ、しゅっぱ、といわれ、すっぱ、になった。「シュウ(あるいは、シュ:衆)」は、「蔵人(くらんど)所の衆」(『今昔物語』)のように、侍(さむらひ)を意味しますが、この語は普通の一般の人々を集団で把握した表現にもなる。「は(端)」は部分域を意味しますが、この場合は侍や普通の人々の、はしくれ、たる尊重されない部分、その部分たる人、を意味する。すなわち「シュウのは(衆の端)→すっぱ」は、侍(さむらひ)、人、の端(はし)くれ、のような意。戦国時代、情報活動や破壊や敵撹乱工作などを行った一群の者たちです。「透波」「素波」その他で表記する。いわゆる忍者(のような者)。「らっぱ」とも言う。
「透波 又稱亂波突破 新撰信長記云……一揆共樋口三郎兵衛在城ノ折節スツハヲ遣シ城ノ樣體ヲ見計ヒ立帰リ申樣………………按透波或は亂波といふこれは常に忍を役するものの名稱にして一種の賤人なり、たた忍とのみよへる中には庶士の内より役せらるるもあれと透波とよはるる種類は大かた野武士強盗なとの内よりよび出されて扶持せらるるものなり。されは間者、かまり、夜討なとには殊に便あるか故に戦国のならひ大名諸家何れもこれを養置しとみゆ。………関東にては大かた亂波と稱し甲斐より以西の國々は透波とよひしとみえたり」(『武家名目抄』職名部卅四下:「かまり」はしのびの斥候(様子見や探り:「彼(か)見張(みは)り」ということか))。『武家名目抄』には「忍者」という別の項目もある。「忍者 又稱間者躁者 西源院本太平記云…………細人アリテ三郎殿ヲ害シ奉リト呼ハリケレハ………按本書細人をしのひと訓せり」。『武家名目抄』の職名部は「征夷大将軍」から始まりますが、「透波(すっぱ)」はその最末・最下に書かれる。その上が「忍者」。
◎「らっぱ(乱波)」
「らのは(等の端)」。これが、らっぱ、と言われた。「ら(等)」は、百姓ら、などと言う場合のそれであり、複数の人々を把握したあまり尊重性のない表現。意味は「すっぱ(透波)」と同じと言ってよく、その地方的別表現→「すっぱ(透波)」の項。
「シュウのは(宗の端)」。これが「の」が無音化しつつ、しゅっぱ、といわれ、すっぱ、になった。「シュウ(宗)」は、教義の本質となる主意。教義を同じくする人々の集団。「は(端)」は独律的部分域を意味しますが、「シュウのは(宗の端)→すっぱ」とは、教義の中枢と言えない、教義たる全幅の信をおくことのできない教義、その信徒。つまり、全幅の信用・信頼をおくことのできない、さらに言えば、信用できないことであり人です。
「Suppa(スッパ). Engano,ou mentira(欺くまたは嘘をつく)」(『日葡辞書』)。
「水破 スツハ」(「(饅頭屋本)節用集」)。
「男たらしのすつぱより、可愛らしいはこの三橋」(「浄瑠璃」『本朝二十四孝』)。