◎「すぢ(筋)」

「しうつち(為打つ路)」。「うち(打ち)」は現すこと、現実化すること(「うち(打ち)」の項・2020年5月28日参照)。為(し)が打つ、現実化する、とは、作用することであり、「ち(路)」は、そのなにかに目標感も生じるなにかとの同動進行、その同動進行関係にある空間域(たとえば「いへぢ(家路)」なら家に目標感も生じるそれとの同動進行、その同動進行関係にある空間域)を表現する(→「ち(路・道)」の項)。つまり、「しうつち(為打つ路)→すぢ」は動態が作用する(伝導する)経路を言う。作用経路、というような意味。ものの作用にかんしても、ことの作用、意味や価値の作用、社会的作用にかんしても言う。基本的には神経線維を言うものではあるのではあろうけれど、筋肉繊維も言い、血管、筋肉と骨の接合部の硬化した腱(ケン)も言う。比喩的に、社会的な系統、ものごとのなり行き、意味や価値の伝達経路なども表現する。その形状印象の類似から点と点を結ぶ痕跡、線状痕跡、も一般的に「すじ」と言う。

「筋力 ……筋…和名須知……筋骸之強者也」(『和名類聚鈔』:「筋骸(キンガイ)」は筋肉と骨ですが、すぢぼね、ということか)。

「脉 …チノミチ スチ」(『類聚名義抄』)。

「『筋かはりたる様に宣(のたま)はすれど、兼雅が後は、大人も、童も、子孫(こまご)まで皆御中にし侍れば、更に隔てに聞(きこ)ゆること侍らず…』『あなゆゝしや。御親の様(やう)なる人だに、然(さ)も思ひ給はざなるものを』」(『宇津保物語』:この「筋(すぢ)」は血統、家系といったことを言っている)。

「『……さるにては、かしこき筋にもなるべき人の、あやしき世界にて生まれたらむは、いとほしうかたじけなくもあるべきかな。このほど過ぐして(しばらくしたら)迎へてむ』」」(『源氏物語』:これは、かしこい(おそれおおい)価値的・意味的・社会的系統といった意味)。

「本末惜しみたるさまにてうち誦じたるは、深き筋思ひ得ぬほどの 打ち聞きには、をかしかなりと、耳もとまるかし」(『源氏物語』:この「筋(すぢ)」はものごと(この場合は歌)の意味経路。それを考えず軽く聞くなら耳にもとまる)。

「げに、いとすぐしてかい弾きたり。今の世に聞こえぬ筋弾きつけて、手づかひいといたう唐めき、ゆの音深う澄ましたり。」(『源氏物語』:この「筋(すぢ)」は楽器(琴)を奏することの流れ。つまり、琴で音をだすことの作用経路)。

「『千年でも、言ふ筋なら、言ふ筋なら、言はで堪へまい』」(『昨日は今日の物語』:このこの「筋(すぢ)」は、言ふ、ということの経過経路。それが世の筋なら言わなくては耐え難い。これは浄瑠璃の口真似をして言っている(そういう話なのである))。

「そういうことを言われるすぢあひはない」(そういうことの意味的・価値的・社会的すぢに私は属していない)。

「すぢの悪い話」(社会的作用経路一般)。

「(話の)すぢ書き」(物事の作用経路)。

「SUJI, スヂ, 筋, ………………Suji wo hiku(スジ ヲ ヒク),  to draw a line(線を書く)…」(『和英語林集成』)。

 

◎「すぢり(捩り)」(動詞)

「すぢ(筋)」の動詞化。「すぢ(筋)」になること。その形体が線状になったり、動態が線状になったりするわけではない。筋肉が緊張しこわばると体表に血管が浮き出たり腱(ケン:筋肉と骨の接合部位)が浮き出たりしますが、それは体に「すぢ(筋)」が現れるわけであり、「すぢり」は、その動態が身体にそうした状態が現れるものであること。身を捩(よぢ)り、に意味が似ている。蔦(つた)などが現れたその血管のような状態でなにかにからむことも、自動表現で、「すぢり」という。

「年老いたる法師めし出されて、黒ききたなき身を肩ぬぎて、目もあてられずすぢりたるを、興じ見る人さへうとましくにくし」(『徒然草』175段:法師が身をすぢっているわけですが、これは一般に(酔って)踊っていると言われる。そうではなく、老いた琵琶法師が声を絞り出しているのではないのか)。