◎「すたへ(棺)」
「すた」が「すてあわ(棄て泡)」。「へ」は「へ(器)」であり、器(うつわ)などを意味する。「すてあわ(棄て泡)→すた」は死体を意味する。なぜ死体が「すてあわ(棄て泡)」か。ようするに、死体は人からその内部が、その内部たるなにかが、抜け、残された表面であり、殻(から)のようなものだということです。それが「あわ(泡)」と表現された。ようするに「なきがら(亡屍:無(な)き魂(ひ)が殻(から))」ということであり、その別表現と言ってもいい。死体を「すた」と表現することに明瞭な資料的根拠はありませんが、蚕の蛹(さなぎ)を「すた」と表現する京都や兵庫の方言はある。これは、もともとは、抜け殻となる蝉(せみ)などの蛹(さなぎ)を言ったものでしょう。蝉や蝶などは、その表面だけの、泡のような自己を棄て、残し(成虫となり)、羽ばたいていく。人の死体はそういうものなのだということ。その「すた(死体)」を納める器(へ:うつは)のようなものが「すたへ(死体器:棺)」。これはのちには一般に「ひつぎ(棺)」(その項)や「クヮンをけ(棺桶)」と言われるようになる。
「一書曰(あるふみにいはく)、素戔嗚尊(すさのをのみこと)………乃(すなはち)鬚髯(ひげ)を拔(ぬ)きて散(あか)つ、卽(すなはち)杉(すぎのき)に成(な)る。又(また)、胸毛(むねのけ)を拔(ぬ)き散(あか)つ、是(これ)檜(ひのき)に成(な)る。尻(かくれ)の毛(け)は是(これ)柀(まき)に成(な)る、………檜(ひのき)は以(もち)て瑞宮(みつのみや)を爲(つく)る材(き)にすべし。柀(まき)は以(もち)て爲顯見(うつしき)蒼生(あをひとくさ)の奧津棄戸(おきつすたへ)臥(ふ)さむ具(そなへ:顯見蒼生奧津棄戸將臥之具)にすべし。………棄戸、此云須多杯(すたへ)。柀、此云磨紀(まき)」(『日本書紀』:「可以爲顯見蒼生奧津棄戸將臥之具」は、うつしきあをひとぐさ(ありありと現実にある普通の人々が)おきつ(遥かなところの)「すたへ」に臥(ふ)す(よこたわる)具(そなへ)にすべし、ということでしょう)。
◎「すたま(魂・魑魅)」
「すたみおや(死体(亡屍)身親)」。「みおや」が「ま」になっている。「すだま」とも言う。「すた」は死体を意味し(→「すたへ(棺)」の項)、その「すた」は人体からなにかが抜け出た殻(から)のようなものであり(→「すたへ(棺)」の項)、その抜け出たなにかはその「すた」に、殻(から)に、入っていた身(み)のようなものであり、その大元(おほもと)とでもいうものが「すたみおや(死体(亡骸)身親)→すたま」。これは、魂(たましひ)でしかない魂(たましひ)、人になっていない純粋な魂(たましひ)とでもいうようなものであり、それは、世界のすべて、周囲の環境のすべてに作用を存在化させる。意味は「たましひ(魂)」に似ているわけですが、表現が「たましひ」よりも俗であり、この「すたま」は「たましひ」の俗語のような印象の語。
この語は漢語「魑魅魍魎(チミマウリャウ)」の和語とされ、「すたま」の意味が「魑魅魍魎(チミマウリャウ)」のそれになっていく。「魑魅魍魎(チミマウリャウ)」は、『説文』に「魑(チ) 鬼屬」、「鬽(ミ) 或作魅(ミ)」「鬽(ミ) 老精物也」、『國語』(中国の歴史書)に「木石之怪夔(キ) 魍魎(マウリャウ)」『説文』に「夔(キ) 神魖也。如龍,一足,…象有角、手、人面之形」とされ、ようするに自然界の精霊のような怪物です。
「窮鬼 ……伊岐須太萬」(『和名類聚鈔』:「伊岐須太萬(いきすだま)」は、身から遊離しても遊離した身は死なず、生きたまま人に作用する「すだま」。生霊)。
「魑魅 ……和名須太萬 鬼類也……老物精也……木魅山鬼 和名古太萬」(『和名類聚鈔』:「鬼類」「老物精」は『説文』の説明がそのまま書かれている。「こだま(木霊)」は「たましひ(魂)」の語頭がとられたところの「こだま(木魂)」。この「こだま(木霊)」は「すだま」の印象とその魑魅魍魎の印象が重なり「もとより荒れたりし宮のうち、いとど狐のすみかになりて、うとましう、気遠き木立に、梟(ふくろふ)の声を朝夕に耳ならしつつ、………木魂(こだま)など、けしからぬものども、所(ところ)を得て、やうやう形をあらはし…」(『源氏物語』)などと書かれたりする)。