「せいさむもあやし(勢沃覚むも怪し)」。「せい」は「す」になり「むもあや」は「ま」になっている。古くは「すさまし」と清音でも言った。『日葡辞書』は「Susamajij(スサマジイ)」と「Susamaxij(スサマシイ)」の両形をあげる。この『日葡辞書』(1603年)の「Susamajii(スサマジイ)」の意味説明は「寒く、恐ろしい(Cosa fria, y medrosa:これら原文、語頭のs以外のsはすべてロングエス)」。「せ(勢)」は川の瀬(せ)にもなっているそれであり(→「すさのを(神名)」の項)、「い(沃)」(「沃 …イル ソソク…(『類聚名義抄』))は、「い(射)」と同じI音による動態表現であり、勢いをもって雨が降っていることを表現する(この「い(沃)」は連用形名詞化ではない。動態表現)。「さむ(覚む)」は、目が覚める、のそれであり覚醒することですが、「あやし(怪し)」という語は、後世では主に疑惑・不信の心情にあることを表現しますが、古くは、知が及ばず判断ができないことを表現し、それほど深遠な意味を感じていることも表現する。すなわち、たとえば、世界が白くなるほど激しく雨が降りその勢いにより覚醒したような心情になることの「あやしさ(怪しさ)」、覚醒したような心情になる、しかしその先は虚無、そして荒廃の予感…そんな心情を表現するのが「せいさむもあやし(勢沃覚むも怪し)→すさまじ」。この語はさまざまなことを表現する。冷却するような思いになること、心が冷めるような思いになること、世界に白さ、そして虚しさ、を感じること、何かの勢いや程度の激しさに対しそうした呆然とした心情になること、等。

「『風(かぜ)寒(すさま)じき日(ころ)に、船艘(ふね)を飾整(よそ)ひて迎(むか)へ賜(たま)ふこと歡(よろこ)び愧(かしこま)る』」(『日本書紀』)。

「影すさましき暁月夜に雪はやうやう降りつむ」(『源氏物語』)。

「白 …シロシ……スサマシ」「淡 …アハシ……スサマシ」「冷 ……スサマシ ヒヤヤカナリ」(すべて『類聚名義抄』)。

「 (この兵部卿宮は縁組を)わが御心より起こらざらむことなどは、すさまじく思しぬべき御けしきなめり」(『源氏物語』:覚め褪せてお思いになっていらっしゃるご様子と見えた)。

「すさまじきもの…昼ほゆる犬……牛死にたる牛飼。ちご亡くなりたる産屋。火おこさぬ炭匱(すびつ)。方たがへにいきたるにあるじせぬ(もてなさない)所…」(『枕草子』)。

「我は此の年来棄てられて有つる其の神也。而(しか)るに、此の守の、思ひ懸けず、冷(すさまじ)くて有つるを、崇め立(たて)たれば、其の喜びに京上する送りに上る也」(『今昔物語』:この神は棄てられたような状態になり社も廃れ周囲も荒れていた。それが心が褪せるような、「冷(すさまじ)くて有つる」状態)。

「世の中のすさまじきままには、やをら、唐にや渡りなまし、と思ひけれども…」(『宇治拾遺物語』:世の中がすさまじい、とは、世の中に荒涼や寒さが感じられ、自分を認める暖かさや豊かさが感じられない。結果として、生活は貧しい)。

「夏山の葉隱れには、わがすさまじき癖あらはしぬれば、暑き日影も忘れ井の慰めぐさと成侍れ」(『伊曾保物語』:これは蝉(せみ)が言っている。「すさまじき癖」は鳴くこと。それをめざましい深遠な特性と表現している)。

「『(この門は)鎮西の八郎為朝が固めたるぞかし』。清盛、小声になりて、『すさまじき者の固めたる門へ寄せあたりぬるものかな』」(『保元物語』)。

「じゆずを取てごまの火にかつぱとなげ入、せめかけせめかけいのらるる。けぶりのぼつて天にうずまきすさまじし」(「浄瑠璃」『下関猫魔達』)。

「一打(ひとうち)にうち殺したる勢ひの冷(すさま)じさ」(『花江都歌舞伎年代記』)。

「なんの事だもすさまじゐ。ふてへやつらだ」(『東海道中膝栗毛』:これは「めざましい」と心が「あさむ(浅む)・あきれる(呆れる)」が一緒になったような表現)。