◎「すくやか」
「すくと」にある「すく」(その項)。「~やか」はその項。そうした「すく」の印象、安心感のあるしっかりとした印象、であることを感嘆的に表現する。
「隆房大納言、検非違使別当の時、白川に強盗入りにけり。その家に、すくやかなる者ありて、強盗と戦ひけるが…」(『古今著聞集』:強くしっかりしている者)。
「『猶(なほ)只人(ただびと)には似させ給はざりけり。此の大臣の霊に合ひて、かやうにすくやかに、異人(ことびと)はえ答へじかし』」(『今昔物語』:宇多の院(譲位後の宇多天皇)が霊に会い、これに強く説得力のあることを言い退散させたことを言っている)。
語の印象は「すこやか」に似ているわけですが、「すこやか」はこの「すくやか」にさらに大きさや豊かさが加わる。
◎「すくよか」
「すくやか」とほとんど意味は変わらない(→「すくやか」の項)。「すくやか」の「や」も「すくよか」の「よ」も詠嘆的発声であり、心情的には「よ」の方が、O音の目標感により、求心的(内心へ深く入っていく)になる。つまり、感銘は深くなる。
「いとどほけられて(いっそう呆(ほほ)け)、昼は日一日、寝をのみ寝暮らし、夜はすくよかに起きゐて、『数珠の行方も知らずなりにけり』とて、手をおしすりて仰ぎゐたり」(『源氏物語』:呆けたが、夜になると壮健な状態で。明るい世界では呆け動けず、闇になるとすこやかになったかのように起きだす)。
「『…かの(若紫の)祖母(おば)に語らひはべりて聞こえさせむ』と、すくよかに言ひて、ものごはきさましたまへれば…」(『源氏物語』:堅く、しっかりした印象で言った。これを言っているのは僧都であり、この「すくよかに」は僧都が、源氏が僧都に言ったことの返答をしている様子を表現しており、この僧都に源氏が言ったことは『幼き御後見(うしろみ)に(私を若紫の後見(うしろみ)に)おもほすべく((若紫の)祖母(おば)に)きこえたまひてむや』ということであり、返答の姿勢は、色事の仲介など私はかかわりませんよ、ということです)。
「今の世の人の御心どもはあまりすくよかにてみやびをかはす事のおはせぬなるべし」(つまり「すくよか」であることは「みやび」ではない)、「十月廿七日大甞會、淸暑堂の御神樂の拍子のために、綾小路の宰相有時といふ人、大內へまゐり侍るとて、車よりおりられざるほどに、いとすくよかなる田舍侍めくもの、太刀を拔きてはしりよるまゝに、あへなくうちてけり。さばかり立ちこみたる人の中にて、いとめづらかにあさまし」、「すくよかに御才もかしこうめでたうおはしませば」(性格が理知的でしっかりしている)(以上『増鏡』)。
「返事せずはおぼつかなかりなむとて、いとこはくすくよかなる紙に書きたまふ」(『是中納言物語』:堅くしっかりした紙に書いた)。