しうけゐなし(為受け居なし)」。「けゐ」のE音I音の連音がU音になっている。語頭の「し(為)」は動態や事象の進行。「うけ(受け)」は、「請(う)け負(お)ふ」などという場合のそれであり、帰属を認容すること。「しうけゐなし(為受け居なし)→すくなし」は、動態や事象を進行させる、それを完成させる、居(ゐ:現実として現れているそのあり方)、がない、ということ。つまり、それでは動態や事象が進行しない、完成しない、と言っているわけです。つまり、完成感のある進行感がない。「真(まこと)すくなし」は「まこと」たる動態を保障するだけの存在がない。物的存在規模に関しても、その規模がその物的存在たる事象の完成に足らなければ、それは「すくない」。

「ゐ(居)」のない「すけない」という言い方もある。「然(そ)して起番(おきばん)は一人で宜(い)いよ。今夜は泊(とま)りが少(すけな)いから」(「洒落本」『仕懸文庫』)。

 

「故(かれ)、海(うみ)の和邇(わに) 此二字以音 下效此 を欺(あざむ)きて言(い)ひしく、『吾(あ)と汝(な)と競(くら)べて、族(うがら)の多(おほ)き小(すくな)きを計(かぞ)へてむ。…』」(『古事記』)。

「八月二十余日の有明なれば、 空もけしきもあはれ少なからぬに」(『源氏物語』:「あはれ」(心情の深まり)が不十分などということはない状況で)。

「潮満てば入りぬる礒の草なれや見らく少(すくな)く恋ふらくの多き」(万1349)。

「海原の道遠みかも月読(つくよみ)の明(あかり)少(すくな)き夜はくたちつつ(「更下乍」)」(万1075:五句の原文「更下乍」は「更(ふ)けにつつ」と読むことが一般のようですが、「くたちつつ」の方がよい歌になる。佐佐木信綱編の書などはそう読んでいる。「夜はくたちつつ」は夜明けがせまること。万1544五句の「更降去者」なども、「ふけゆけば」ではなく、「くたちなば」。織姫と彦星が会っているその夜がふけて「見る吾(われ)辛(くる)し」(四句)のわけがない)。

 

・「すくなくも」「すくなくとも」

「すくなくも」「すくなくとも」の「も」は一般に逆接であり、一般の期待や予想外のことが言われるのですが(→「悲しくも美しく燃え」:つまり、「すくなくも」は、「しうけゐなくも(為受け居なくも):動態や事象が進行しない、完成しないがしかし…」、という表現になる)。

「かくしても相見るものを少なくも(須久奈久母)年月経れば恋ひしけれやも」(万4118:こんなふうに会えるのに、すくなく→しうけゐなく(為受け居なく)→それですべての事象が進行し完成することなく、ではあるが、しかし、年月を経ているので恋しいのではないか)。

「旅といへば言(こと)にぞやすき(「たび(旅)」とただ言葉でいえば簡単だ) すくなくも(須久奈久毛)妹に恋ひつつすべなけなくに」(万3743:「しうけゐなくも(為受け居なくも)」、動態や事象を進行させる、それを完成させる、居(ゐ)、はないが、「妹に恋ひつつすべなけなくに」、あなたとの恋がありつづけることが術(すべ:そうなることが見える方法)として希望や展望を開く。「なけなくに」はその項(意味は、ないことはないのに→あるのに))。

しかし、「~も」が順接になるか逆接になるかは表現されることの内容によって決まり、「も」によって決まるわけではなくそれは順接にも「AもBも」といった添加・累積にも、なる。

『万葉集』には「言(こと)に言へば耳にたやすし 少(すく)なくも(小九毛)心のうちに我が思(も)はなくに」(万2581)といった歌がある。この三句以下と全く同じ表現は他の歌(万2523、万2911)にもあり、これは慣用的表現になっている。この三句以下「すくなくも心のうちに我が思(も)はなくに」は、「も」と「思(も)」がかかっており、最初の「も」は逆接であり、次の「思(も)」は「思(おも)ひ」の省略たる「もひ(思ひ)」のそれでもあり一般的な助詞の「も」でもある。つまり、「少(すく)なくも心のうちに我が思(も)はなくに」は、(一般にはどうかは知らないが)少なくとも、私の心のうちに、そんな「我が「~も」」はなく、現代的な言い方をすれば、すくなくとも私の心には「すくなくとも」などなく、(耳にたやすく言(こと)にしない、たやすく耳に聞かせることをしない)。つまり、「すくなくも」などというそんな「も」は私にはないのだ、「しうけゐなくも(為受け居なくも)」、動態や事象を進行させる、それを完成させる、居(ゐ:現実として現れているそのあり方)、がなくも、などという「我(わ)が「~も」」などないのだ、私のあなたへの思いには、思いを絶対に進行させる、完成させる、現実として現れているそのあり方があるのだ、私のあなたへの思いは私の存在そのものとして完成し絶対なのだ、言葉など超越している、だから言語表現などしないのだ、ということなのである(だから「色には出でず」(万2523)、「目こそ忍ぶれ」(万2911)という歌もある)。

「売り上げ1億であっても、すくなくとも当面の危機は回避できる」(会社の規模としては1億など微々たるもの。しうけゐなくとも(為受け居なくとも)→(会社としての)あらゆる事象・事業の展開を保障することではないが、売り上げとして完成感はないが、しかし、その1億で当面の危機は回避できる)。