動詞「すき(好き)」の連用形が二つ重なり形容詞になっているわけですが、「すき(好き)」という動詞(3月10日)はある限定的な世界や特異な世界に沈溺し閉じこもってしまう印象があり、いかにも好きだ、というこの「すきずきし(好き好きし)」という形容詞は、何かに夢中になっている、凝っている、という意味のほか、通常の、いわば一般的に健全な、状態から遊離してしまっていたり離脱してしまっていたりすることへの、それが特に有害というわけでもなく、不快感というほどではないが、特に好感を抱いているわけでもない心情を表現する。また、この形容詞は、恋・男女関係、といった方面のことで用いられる傾向もある。
「うへ(帝)渡らせ給ひて後、かかる事なむと、人々殿に申し奉りければ、いみじう思し騒ぎて、御誦経(みずきやう)など数多(あまた)せさせ給ひて、そなたに向ひてなむ(内裏に向って)、念じ暮らさせ給ひけるも、すきずきしくあはれなる事なり」(『枕草子』:娘が、帝によって、『古今集』の歌を覚えているか試されていると聞いた親(殿)が御誦経(みずきやう)などもし事がうまくいくよう祈った、という話。この「すきずきしくあはれ」はそれほど人々がものごとに打ち込み感嘆する、ということ)。
「『まめやかには、好き好きしきやうなれど、またもなかめる人の上にて(一人娘のことなので)、これこそはことわりのいとなみなめれ、と思ひたまへなしてなむ』」(『源氏物語』:実直な人からすれば、いかにも嗜好をこらしている、という印象でしょうけれど…)。
「このあて宮を思ひ聞こえ給へど、すきずきしくもや、とて色にも出で給はねど」(『宇津保物語』:この「すき」は男女関係のこと)。
「今の世には、すきずきしく、亂(みだ)りがましきことも…」(『源氏物語』:これも男女関係のことであり、社会的な悪徳という印象にもなっている)。