◎「すき(次)」

「しうき(為浮き)」。「うき(浮き)」は表面化すること。現れること(2020年4月20日)。「Aをしうき(為浮き)→Aをすき」は、Aを為(し)、なにごとかが浮(う)く、認知に表面化する、現れる。Aがなにごとかをしている主体の場合、Bが、Aをすき、の場合、BはAをし、Aがしていたなにごとかが現れる。大嘗祭における祭祀の準備を整える国を「ゆき(斎忌)」(その項)といい、それを次ぐ立場にある国を「すき(次)」という。B「すき(次)」は、A「ゆき(斎忌)」をすることにより、大嘗祭と呼ばれる神事は現れる。

「新嘗(にひなへ)の爲(ため)に國郡(くにこほり)を卜(うらなは)しむ。齋忌 齋忌此(これ)をば踰既(ゆき)と云(い)ふ は尾張國(をはりのくに)の山田郡(やまだのこほり)、次 次此(これ)をば須伎(すき)と云(い)ふ は丹波國(たにはのくに)の訶沙郡(かさのこほり)、並(ならび)に卜(うら)に食(あ)へり」(『日本書紀』天武天皇五年九月)。

「由紀(ゆき)須伎(すき)二国(ふたくに)の献(たてまつ)れる黒紀(くろき)白紀(しろき)の御酒(みき)を赤丹(あかに)のほにたまへゑらき」(『続日本紀宣命』:「ゑらき」は笑うこと)。

 

◎「すき(透き・空き)」(動詞)

この「す」はS音の動感により通行感、透過感を表現する擬態。「すき(透き)」はその動詞化。通行感、透過感があることを表現する。対象が何かに対し通行感、透過感があれば「透(す)き」。「御燈(みあかし)の影ほのかにすきて見ゆ」(『源氏物語』)。対象に通行感、透過感があれば「空(す)き」。「客席がすいている」。「腹がすく」は空腹になること。「手がすく(空く)」(手に空(あ)きができる、時間の空きができる、暇になる)の意味展開であるが、「すく」といっただけで、対応や対策に空(あ)きがある、手抜かりがある、という意味にもなる(下記『日本永代蔵』)。「頬(ほほ)がすき」という表現もあるが、これは健全ならある筈の頬のふくらみがそぎ落とされたように減ったり、なくなったりすること。

「観音信仰にはあらず是をすべき手だてさてもすかぬ男、一たび思ふまゝなりしが、元来筋なき分限、昔より浅ましくほろびて…」(「浮世草子」『日本永代蔵』:これは、信仰もないのに敬(うやま)っているかのようにする手だてに手抜かりはない男、ということでしょう)。