◎「すがり(縋り)」(動詞)
「すけかり(助け借り)」。「すけ(助け)」は助力すること(→その項)、「かり(借り)」は無いが有るものやことを現すこと(→その項・2021年7月7日)ですが、「すけかり(助け借り)→すがり」は、さらに力が必要な場合、助力たる力はないがそれを有ることにしてくれるなにかによってそれがあることにすること。つまり、助(たす)けを借(か)りる、ということです。「杖(つゑ)にすがる」。「神仏にすがる」。「すがりつく」。
「手ヲ以テ斤ノ緒ニ須加利(すがり)テ力ヲ発シテ強テ登リ給ニ…」(『三宝絵詞』:「斤(キン)」は『説文』に「斫木也」とされ「斫」は「擊也」とされる字であり、(柄の長く曲がった)斧(おの)でしょう。『類聚名義抄』ではこの字に「ハカリ」という読みが書かれている。「斤(キン)」は重さの単位であり、天秤(テンビン)秤の棒ということか。原文には読みは書かれていない)。
「(小松三位中将・平維盛(これもり)が)既にうち立たんとし給へば(北方は)袖にすがりて、『都には父もなし母もなし捨(すて)られ参らせて後、誰にかはみゆべき。いかならん人にも見えよ』など承るこそ恨めしけれ」(『平家物語』:「承(うけたまは)る」は、(救いの途(みち)を)お聞きする、ということでしょう)。
「乳母召し出でたれば、いと顕証(けそう)なる御前にゐざり出でたる頭つき、様体、髪のすがりかかりたるさま、もてなし、いときよらなり」(『夜の寝覚』:「顕証(けそう)」は顕(あらは)であり、明瞭に見えること)。
◎「すがり(尽り)」(動詞)
「すぎをはり(過ぎ終わり)」。それとしての経過が終わること。たとえば、春に芽生え、夏に盛り、秋に枯れる植物の経過です。そうした経過の終焉を迎えているということは、それがそれとしてある盛りのときが過ぎていることを意味する。よく言われるのが、香やその移り香が消えかかっていること。「すがれ」という自動表現も現れている。
「香すがりてすゑざまより、又右の座上へ火とりをもちてまいる」(『五月雨日記』)。
「汀渚(みぎは)の蘆荻は末枯(スガ)れ果てて居るが」(『付焼刃』(幸田露伴))。
◎「すがり(嵌り)」(動詞)
「すげ(挿げ)」(その項)の自動表現。挿(す)げられたような状態になっていること、なること。なにかに装着すること。
「輪寶(りんぽう)のすがりし曲(ゆがみ)齒(ば)の水ばき下駄」(『大つごもり』(樋口一葉):「輪寶(りんぽう)」は、進むところ四方を制する転輪聖王(てんりんじょうおう)の聖なる宝具。それが歯としてすげられた下駄をはいたような気分で水汲みを始めるが…ということでしょう)。