◎「すがやか」
「すぎはややか(過ぎ早やか)」。語末の「やか」はその項。「すぎ(過ぎ)」は透過する存在状態にあること、進行・経過することですが、「はややか(早やか)」に関しては、他に例のない表現と思われますが、「はやらか(早らか)」はあり(「車の尻にこのつつみたるわらを入れて『家へはやらかにやりて…』」(『宇治拾遺物語』「鳥羽僧正與國俊たはぶれ」))、「はややか(早やか)」があっても不自然さはない。「さは(爽)」なども「さはやか」「さはらか」どちらもある。「すぎはややか(過ぎ早やか)→すがやか」は、(事態の)経過進行が予想外に効果的であること。それが抵抗や障碍なく、難渋や停滞なく、進行し経過すること。
「『女宮のかく世を背きたまへるありさま(出家した事情)、おどろおどろしき御悩みにもあらで、すがやかに思し立ちけるほどよ…』」(『源氏物語』)。
「帥(そち)のおとゞの大臣まですがやかになり給へりしを、はじめよしとはいひけるなめり」(『大鏡』)。
◎「すがら」
「すぎがら(過ぎ柄)」。「すぎ(過ぎ)」は何かを透過した存在状態で言語表明していること、経過し進行すること。「から」は相互に交流関係をもって、交感関係を維持しつつ、なにかの動態があること、何らかの動態が相互的・相互交換的であることを表現し(→「から」・2021年6月28日、「から(族・柄)」・2021年6月29日)、「がら(柄)」は動態として関係性を、属性を、同じくすることを表現する。すなわち「Aすぎがら(過ぎ柄)→Aすがら」は、Aの経過進行と動態が相互的・相互交換的であること、Aと関係性を、動態属性を、おなじくすること。夜すがら、であれば、夜の経過進行と相互交換的に、その動態属性をおなじくし、動態が経過進行している。「過ぎながら」に意味が似ている印象を受けますが、「夜もすがら」ではなく、「夜も過ぎながら」は、世が過ぎていることが客観的に認了された情況にあり、夜は過ぎており、夜ではない。「夜すがら」。「道すがら」(道は夜のように時空進行はなく、道すがら、は、道を行きながら、という意味になる)。「身(み)すがら」という語もあり、身の時間変動とおなじくし、ということなのですが、することはそれだけ、という意味で、他になにもなくただ身(身体)だけで、という意味になる。
「…ぬばたまの 夜はすがら(須我良)に 赤らひく 日も暮るるまで 嘆けども 験(しるし)をなみ…」(万619)。
「白露(しらつゆ)と 草葉(くさは)におきて 秋(あき)の夜(よ)を 声(こゑ)もすからに あくるまつむし松虫」(『新勅撰和歌集』)。
「行(ゆ)きすから 心(こころ)もゆかす(ず) 別路(わかれち)は なほふるさとの ことそかなしき」(『永久百首』)。
「只身すからにと出立侍るを、帋子(かみこ)一衣ハ夜の防き、ゆかた雨具墨筆のたくひ、あるは(あるいは)さりかたき餞(はなむけ)なとしたるハ、さすかに打捨かたくて、路次の煩となれるこそわりなけれ」(『奥の細道』)。